今月の絵と詩     夕暮れのお買い物        アトリエ   案 内  
kk

 
 太平洋戦争が始まった年の二月に大阪で生まれ、5才になった年に母の郷里の島根県・隠岐の島に疎開しました。よくあるお話ですが、疎開先では「よそ者・穀潰し」と言われていじめられていたことを覚えています。その意味さえよくわからないぼくの幼年時代は、自分ではなんのことかわからないままの毎日でしたから、虐められていることさえあまり心の痛みとしての記憶はありません。しかし、少年時代・青年時代と育っていく過程で体の底に染み付いてしまったような寂しさを覚えるようになりました。
 その寂しさがどこから流れ出すのかを考えていて、ふと鉛筆を持っていたらこんな詩を書いていました。じつはこの詩はもう定年退職を過ぎてからのことでした。父も母も家族を考える前に自分をどう生きるかを模索していたのではないかと思えるほどに貧しくて、惨めな環境にあったのではないかと想像します。両親ともに親としての愛情を感じましたし、ぼくをいじめるような折檻を受けることはまったくありませんでした。が、子育ては淡白でした。だからでしょうかこの詩のような記憶がはっきりとあります。・・・それは寂しい思い出です。

   夕暮れのお買い物


♪あの町 この町
   日が暮れる 日が暮れる・・・♪
幼い頃のことを考えると
ぼくはこの歌を思い出す
 
母と手をつないで歩いた記憶はない
父と並んで歩いた記憶もない
あの太平洋戦争が
まだ幼いぼくの思い出を
こんなふうに作ってしまったのだろうか
  
戦争から帰った父は
すぐに遠くへ働きに行ってしまった
母はたつき(活計)のためにだろう
いつもぼくの近くにはいなかった
そういうものだと思っていた
まだ、幼いぼくだもの
疎開してきた他所者だと
村人に遠ざけられていた
ひとりぼっちのぼくだもの
なんとなく悪戯をして生きていた

不幸という思いの記憶もないし
寂しいという自覚もない
父や母と手を繋いで歩いたという
一生大事にしておきたいような記憶もない
思い出すのはひとりぼっちばかり
 
  蓮華寺山に西日が当たり
  夕暮れは麓から上がってくる
  ゆるやかな稜線が左右におりて
  扇を開いた形の山が
  ゆったりと一日を巡った

  はるかにトンビを舞わせた空が
  白く透きとおった月を浮かべると
  ひとりふたりと友が帰っていく
  そしていつも ぼくはひとり取り残される
  
  大きなナツメの木に寄り掛かり
  ぽつんと頂上だけがまだ明るい蓮華寺山を見る
  静かすぎてかすかな潮騒が聞こえている
  村の家々にはもう灯が点った

  海の向こうで働いている母はまだ帰らない

 

 

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大人になってぼくはこんな詩を書いた
実にはっきりと
このときの寂しさを覚えている
遠い島根の隠岐の島での思い出である

そして、後
それはまだ少年の頃だったが・・・
東京へ越してきても
日々の生活は同じだったし
方言だけの田舎者には親しい友もいなかった。

夕暮れの町を
母と娘が手を繋いで歩いている
こんな光景を見たことがある
何度もある
母を見上げる子と、子を見下ろす母の
まなざしの通い合いを見たことがある
父と少年の元気な手繋ぎも見たことがある
それはぼくには羨ましい憧れだった
「いいなあ」と
じっと佇んだまま
こんな二人を見ていたことがある
 
いつからか ぼくにとっての夕暮れは
いつも寂しさと一緒にやってきた
寂しい夕暮れの
手を繋ぐ親子はきっと
世界一の温かさを紡いでいるのではないか
大人になって ぼくはそんな想像をしながら
母と子が手を繋いで歩く絵を描いた
  
♪あの町 この町
   日が暮れる 日が暮れる・・・♪

心の中では
しっとりと濡れてしまっている
この歌を歌いながら・・・