抒情詩  古都・ひとり                アーカイブの窓へ   工房   案内


 修学旅行で中学生たちを連れて京都へ行った。ぼくは校長で老いていたから、引率責任者という名目で結局は放っておかれた。仕方がないから宿舎の旅館の近くの慈照寺、通称銀閣寺へ出かけてぼんやりと夕暮れ(午後四時過ぎ)までそこで過ごした。季節はもう春だったが雰囲気を思いながら詩の背景を「冬」に設定して、帰ってからそのときの気持ちと印象を書いた。絵の風鐸やシルエットの五重塔や空や娘さんの顔や衣装は、あっちこっちから掻集めた部品を配置してお得意の「創作偽写真」を描いた。
 
 娘さんの着ている平安時代の十二単だけはどこかの雑誌の写真をお借りした。あとはすべてぼくの撮影によるものである。たとえば空の風景は我が家(千葉・八街)の上空であるし、風鐸は近くのお寺のもので、山武町か成田市か、それとも房総半島のものかわからない。シルエットのお寺はそのときの旅での写真をシルエットに加工したものである。

 少女の顔は三人ほどの娘さんの目や鼻や口をお借りしてぼくが描いたCGである。眉と目の間の広さはイメージとして平安時代の娘さんを勝手に想像して広げた。
 これは、アーカイブというよりは十年ほど前から勝手に楽しんでいるぼくのCGによる勝手な「創作偽写真」である。詩はもう二十年ほど前のものになるかも知れない。

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 京都・ひとり

     境内はもう何も動かなかった
     冬に沈んでしまったような風景
     陽の光は山門の屋根に座り
     時を止めている
     幾人かの人が歩いている
     玉砂利で音を立てないようにそっと
     この永遠の静けさに遠慮しているのか

          ぼくも自分の時を止め
          心をいっぱいに広げて
          ほんとうのぼくになって
          慈照寺本堂の濡れ縁に腰掛け
          境内を眺めていた
          すると風鐸の下に古代の娘さんが浮かんだ
          ふと遠い昔の人々のかすかな話し声もする
          その娘さんを知っているのだろうか
          銀閣さえ何かを語りたがっているようだ
          ぼくは銀閣の話が聞きたかった

けれども陽の光は
ものの影を伸ばし始めた
確かに時は流れている
もう夕方だ
そんなふうに
いつか春は必ず来る
すると境内ではいろんなものたちが
ざわめき始めるだろう

     時の流れの気配がすると
     建物や庭の佇まいは
     いにしえへ帰ってしまう
     銀閣は言いかけた話を飲み込んで口をつぐみ
     幾千年もに広げていた心を閉じてしまった
     いつのまにか娘さんは消え
     古代の人々の話し声はもう聞こえない


そしてほんとうのぼくも消えてしまったようだ

 

 

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