手 作 り 本 の 窓

          自家製本 ・ あれこれ


 ぼくの本(自 家 製 本 )たち  

  シュンGの工房

             案 内

しばらくぼくの「自家製本」の紹介を続けてきましたが、
思うところがあって、今度シリーズ風に手作り本作成に思う感慨を随筆風に述べてみようかなと思い立ちました。
自分の好みでの手作り「本」の楽しみを語るコーナーにしてみようと思います。
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                       第 十 四 回 (糸綴じの並製本)


 座右の愛読書といえる一冊を持っている方もいるでしょう。それが著名な作家の本だったり、著名な作家でなくとも感動して再読を楽しむ本だったりのこともあるでしょう。また、著作に便利な事典や参考書だったりもするでしょう。中には自分の著作だったり忘備録のようなノートだったりする方もいらっしゃるかも知れません。実を言うと恥ずかしいのですが、ぼくはもう数十年も前から親しんできた趣味の詩作品を編んで、自ら作成した「本」という綴りものを座右の一冊に加えています。
 つまり中身の著作ではなく、「本」そのものの手作りによる一冊を座右に置いているのです。そして、本の中身の拙い作品は自らの思い出のきっかけといいますか、ヨスガ(縁)といいますか・・・。そんな風に座右の一冊にしているのです。そんな一冊について今回はおしゃべりをしてみたいと思います。というのもいろいろに勉強して今まで百冊を超える「手作りの本」を作ってきた一冊の顛末を述べたいのです。(中身の作品に関しては、今月「九月のサロン瓦版」に載せましたので、ここでは中身のことは述べません。)

 

 題して「糸綴じ並製本」とでもいいましょうか。

1、「本」は一般に「本・書籍・書物」などと言われます。それは数枚の紙に描かれたものを綴じて作ったものです。細かな定義はここでは述べません。けれど、ユネスコでの定義は表紙を数に入れて「五十枚」以上の紙片に書かれて綴じられたたものと定義されています。その枚数以下で綴じられたものは「小冊子」と言うのだそうです。

2、紙片は綴じられなければ「本・小冊子」にはなりませんが、綴じる方法にはいろいろあります。たとえば、すぐにばらける綴じ方としてはクリップ(紙挟みも含む)とかピンがあります。バラけない綴じ方には紐とかホッチキスなどがあります。しかしそれらは「小冊子」の範囲での方法だと思います。「本」と言える厚さの紙片を綴じるには、糸で縫うとかノリで付けるという方法が一般的だと思います。

3、「本」といわれる場合の綴じ方を、製本では「背固め」というようです。この背固めにもさまざまなやり方が工夫されていますが、大きく分けると「糊で固める方法」と「糸で固める方法」に分けられます。

◯ 「糊で固める方法」
 ・ 古来の接着剤で貼り合わせるように紙片を繋いでゆく。(例・ご飯粒を潰した糊など さまざまなものが工夫されてきました。
 ・ 現代では合成樹脂の材料による「ホット・メルト接着剤」での背固めが製本の主流のようです。
☆「シュンGさんは」
 ぼくは、古来の接着剤のうちに今でも市販されている「木工用ボンド」を使っています。その理由は粘着に信頼が置けます。そして、出来上がりが優しくてページめくりを机上に本を置いたままでできるという利点です。しかし、本の製作工程では使用の加減が難しい上に作業しにくいという難点があります。そして、本が出来上がってみないと「仕上がり状況が確かめられない。」ということも難点です。さらに、仕上がりの美しさは一冊づつなんとも言えない手作りの不揃いさが目立ちます。つまり、出来上がってみないとうまくいったかどうかがわからず、途中の「やり直し」が出来ないいうことも大きな難点です。
 それに引き換え、現在書店で販売している本のうちに(全部を調査したわけではありませんので、ぼくの勝手な印象にすぎないことをお断りしておきますが)、大半を占める「ホット・メルト接着剤」による製本で作られたものは、商品としては完璧で、製本としては美しい上に堅牢さと信頼性を十分に満足させるものです。そして、この「ホット・メルト接着剤」による、アマチュア個人の趣味の範囲でも十分に製作できる簡便さもあるし、そのためのノウ・ハウを教えるサイトもたくさんあるし、キットなども販売されています。また、おそらく自費出版で上梓する場合の簡便な方法として書籍出版社でも確立されているようです。
 けれどもぼく(シュンG)には、ただ一点だけ「ホット・メルト接着剤」で作られた本には不満があります。これは老人の勝手な好みの問題ですが、「ホット・メルト接着剤」による本にはぼくが求める「風合い」が味わえないのです。概して「ホット・メルト接着剤」で本は、ページを開いたまま本だけを机上に置くと自然に本がひとりでに閉じてしまうような気がします。しっかりとした丈夫できれいな仕上がりで、見た目には格段に上品な本が、ぼく(シュンG)には、なんとなくよそよそしい印象なのです。それに比べて、「木工用ボンド」で仕上げた本には、素人手作りの素朴な風合いがありページめくりに優しさがあります。ですから詩集にはこちらの方が似合うような気がしています。

◯ 「糸で固める方法」
 固めると言うよりは「綴じる」という言い方が似合うと思います。その綴じ方はさまざまです。簡単には綴じる側に穴を開けて紐を通して綴じるという方法から、糸で縫うように綴じる方法まであります。さらには、糸で縫うのもさらにいくつかの方法があるようです。ぼくはその中では「16ページ折長をさらに重ねておよそ200ページぐらいにして、その折り長を一束ずつ糸でかがっていくという方法をネットで教わって続けています。この方法はかなり古い方法のようで「折長のページ数を工夫しながら」、いろんな書籍が作成されてきたようです。1000ページを超えるような「事典類」も従来はこの方法で作られてきたように思います。この場合も仕上げには糊を使って本の背中を固めていったようです。ぼくもその方法をとりますが、ぼくの場合はこの折り長を大切にして、念入りな糊入れに精魂を込めます。まさにシュンG流の製本の臍はここにあります。なお、ここでの失敗は出来上がりの本の美しさ・品位にかかわりますので気の抜けない工程になります。
* 「16ページ折長」とは。 まず本の大きさをA5版に設定したとします。印刷はA4版・横目の上を使って裏表に四ページ分の文章を印刷します。この際にはページ数の配置がなかなかに厄介です。その紙を四枚(16ページ分の文章が印刷されている)を、ページ順を間違えないようにして重ねて折ります。その一組を「16ページ折長」といいます。
* 「糊で固める方法」で木工用ボンドで接着しただけの背固めだと、細心の注意を払っても一ページだけノリが剥がれて外れるという失敗が、何十回に一回程度起きました。「糸で固める方法」はページの紙が剥がれ落ちる心配はありませんが、本を開くと本の継ぎ目に綴じた糸が見えてしまうことがあります。それはなんとも上品さに欠ける感じがします。その両方の不興さをカバーするためにぼくは糊と糸を使う方法に工夫をしました。ここが「シュンG流の製本」のポイントだとぼくは思っています。

4、「丸背・上製本」にしなかった理由
 本の表紙を固くて美しい布貼りにして、本の中身を守るように小口を守り、ページめくりをし易いように丸背にする方法を採用すると、出来上がりが高級な仕上がりの本(上製本)になります。
 個人の趣味で作るのだから本としても高級な方がいいではないかと思うかもしれませんが、座右に置いておく本は手軽にいつでもページを捲れる親近感のような感じが欲しいと思います。固い表紙の立派なものはできるならば座右は似合いません。でも、どこか安物っぽい出来の本では気持ちが雑になってしまうような気がします。どこかに高級感と品位がありながら親しみ易い雰囲気と、本らしい風合いと風格を持っているような本がいいとは思いませんか? ぼくは、そんな気持ちで微妙なことに工夫をしながら、シュンG流の製本を確立しようと思ったのです。

 

5、微妙な工夫って?
 まず表紙が固いのは、扱いに親しみが湧きません。書架に飾るには格好がいいけれど座右は似合わないと思うことは前述のとおりです。
 でも、そうすると「丸背」の方法はなかなかに難しくて出来そうにありません。仕方なく「角背の本」になってしまいます。それでいいと思います。
 すると小口の美しさなどは前小口と下小口を捲りやすくしておけばいいという安易さになってしまいますが、そうではなくで小口を全部美しくしておきたいと思いました。でも、製本会社のような大型裁断機のない個人にとってそれは難しく、ぼくは150番と230番のサンド・ペーパーを使って念入りに小口磨きをします。
 もちろん栞紐も装着します。これは小口磨きとの兼ね合いで作業手順を工夫しなければなりません。これで何度失敗したかしれないくらいの失敗を重ねました。
 上製本のように「見返し紙」も使います。すると柔らか厚紙の表紙との張り合わせが難しく、綺麗に仕上げるにはコツが必要になります。十数冊の失敗を重ねました。そしてようやくコツを手に入れました。それは文章には難しくて表現できません。
 仕上げの230番のサンド・ペーパーの使用もなかなかに楽しいものです。

 

 座右における親しみ易い丈夫な(ページがばらける心配のない)高級感のある「本」がぼくの目標でした。(「並製本」とは角背のやわらかい表紙の本という意味です。) 出来上がってみると、今まで勉強して練習して習得した先輩方の製本の知識と自分の技術(コツ)を活かして、なんとなく自分風「シュンG流の製本」の本への愛着が湧くようになりました。
 やっぱり。勉強して練習して実践してコツを身につけたら、それを駆使して自分流のものを創作する楽しさが、趣味の究極の目的であり姿だと思うようになりました。まだまだ、出来上がりは拙いものですけれども自分流というのがなんとも嬉しいものです。




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