意 図
アニソン歌手の森口博子さんがお歌いになった、童謡「みかんの花咲く頃」を涙ながらに聞きました。森口さんの歌はやさしい母の声のように染みてきます。「星影のワルツ」をカヴァーで歌っていらっしゃるテレサ・テンさんの歌も涙と共に聞きました。テレサ・テンさんの声は、愛おしい恋人の声のように切なく感じます。お二人の歌はもうぼくの心の耳に入ったままで、ずっと出ようとはしないのです。
だれもがそんな風に思う歌を持っていると思います。ぼくはこの二つの歌を聞いていると心からしみじみとしてきます。もちろんメロディにも助けられてでしょうが・・・。
みかんの花が咲いている丘を思い浮かべ、そこから見える大海原の展望を思い浮かべ、青い世界の中をゆく白い船を思い浮かべ、母さんの懐の中にいるような思いで、穏やかな安らぎを覚えます。
また、想い合っているのに別れなければならない悲しい宿命の中で愛する相手を思う優しさに、まったく関係のないぼくがなんで涙を流してしまうのかを思います。なんで星影の歌なんだろう。なんでワルツなんだろう。悲しさに埋もれながらも愛の優しさ、温かさを存分に感じさせられて「たまんないなぁ。」と思います。
歌を歌っている時、聞いている時にぼくは歌の流れや勢いや優しさ辛さを感じはするけれど、思想とか主張とか批判とか、哲学や奥深い真理を意識をすることはありません。歌そのものを感性で受け止めているだけです。だから、「いいなあ。」「しみじみするなあ。」「そうだなあ。」「泣けちゃうよ。」と感じるだけなのです。
ぼくはこんなつもりで「詩」を書いています。だから、「詩」を「し」と読まないで、「うた」と読みたいのです。この詩集の作品を、どうぞ野村俊がうたっている「うた」だと思って心で聞くように読んでください。下手な歌ですが、森口博子さんやテレサ・テンさんが歌う「みかんの花咲く頃」とか「星影のワルツ」を聞いているように、心の耳で詩の内容を受け止めていただけたら幸いです。
詩の意味内容に主張とか批判は期待しないでください。決して哲学とか奥深い真理とかを求めないでください。ただ「うた」を聞くように読んでいただきたく思います。
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