書 斎 案 内 | |
人は自分だけの思い出を持っています。 思いがけない思い出を発見した時は感動ももちろんありますが、心の傷が出土するような苦い味わいもあります。だが不思議にそれらはすべて懐かしさ故に静かに胸に収めたり、憎む心を許したりするものです。そして、思い出の遺跡の数々に、その懐かしさ故に不覚にも涙をこぼしてしまう時、思い出たちはみんなぼくの中では宝物になるのです。 ここ「こもれびレストラン」で、まるで身の上話のように語り続けた思い出話の中から、なんとなく気に入ったものを選んで並べてみました。 |
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ぼくは「初恋が終わった次の朝」というフレーズが好きです。それは自分の初恋に浸っていたいような女々しい自分の心境を思い出したいということではありません。あの頃を思い出しながら不思議に思っていたことの謎が、もう傘寿になろうという今になって解けるのです。たぶんあの時の女性の友が自分の初恋の相手だったのだろうという風に自分の初恋をぼくは思うのです。いったい何故なのだろうという不思議を整理してみて、ようやくわかってきたような気がしています。可愛いなあと憧れていた同級生の女の子がいましたが、ほとんど話をしたことがありませんでした。すっごく美人だなと思い周囲の連中からも一目置かれていた同級生もおりました。しかし、それらの同級生にぼくは心惹かれていたのではないことがわかります。いつでも、どこでも自由に話せてなんでも相談できる同級生の女の子がいました。もちろん、恋人のような思いの憧れは微塵もありませんでした。けれど、彼女と一緒にいることは大好きでした。その彼女がいなくなった時に感じた世界が終わったような寂しさを今でも忘れることはできません。見て・感じて・惚れて・ひたすらに憧れて、慕わしく思うようになってしまう「恋」の意識などまったく持たないのに一緒にいたいと思うのが「初恋」なのではないかと思ったのです。そう終わって気が付いたときに「人は恋の物差しを自分の中に作れているのではないか。」と思うのです。初恋の次の恋はもう自分で相手を品定めしている自分になってしまっている。「初恋の次の朝」からはもう大人になってしまっている。ぼくはそう思うのです。 |
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