思い出の玉手箱                    案 内   
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涼風に辿る思い出秋さやか

 懐かしい写真を見つけました。高等学校一年生の時の運動会の写真です。ぼくは一年D組の級長で、彼女は副級長でした。担任の先生はいろんな用事をぼくたちに言いつけました。まだ、昭和31年頃の話しです。高等学校と言っても今の中学生よりももっと幼かったように思います。ほとんど男女では話しをしない時代でした。でもぼくたちはクラス委員だから、担任の先生から仕事を頼まれるたびに相談しなくてはならず、仕方なく話しをするしかありませんでした。いつの間にかその関係が級友たちには仲が良いように思われて、一学期の終わり頃に悪戯であちこちに落書きで相合い傘を書かれるようになりました。そうなって初めて異性を意識して、なんとなく本当に仲良しになってしまったように思います。
 はっきりと意識したのはこの運動会の仮装行列の準備と当日までの日々だったように思います。初恋というものなのでしょうか。ぼくの初恋は周囲に作られたものだったように思います。でも、いつかぼくは彼女が好きになっていましたが、なんだかずっとリードしていたのは彼女でした。淡いままで一年生の終わりに彼女が転校していってしまって終わりになりました。不思議なもので70才を過ぎてこんな写真が見つかると無性になつかしく思い出すものです。
 この写真は運動会当日、本番の仮装行列でぼくたちのクラス1年D組のものです。先生の手は全く借りずにクラス会で相談して、地獄の閻魔大王と釜茹での地獄を作ろうということになったのだと思います。副級長の女の子がいつも級長のぼくをリードしていたことは明らかだったから、級友たちが彼女を閻魔大王にしたてたかったのだったというかすかな記憶があります。
 準備は大変でした。毎日放課後に数人が教室に残っていろいろなものを作りました。衣装も考えました。ぼくは級長だったからその責任者だったので、ただ夢中だったことしか覚えていません。毎日みんなが帰った後、彼女と二人で明日の仕事の段取りをして暗くなって帰った記憶もかすかにあります。
 写真の1Dのプラカードを持っているのは、閻魔大王の奥様役のぼくです。「現代の地獄」の看板の中の中央で閻魔帳で顔を隠して高下駄をはいているのが彼女です。

 次の詩は「はじめに」という題で、ぼくの初めての詩集「迷子と恋人たち」に収めてあります。その一部分をここに載せてみました。たしか、この詩は高校二年生になって彼女を思い出しながら書いたものだと記憶しています。


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  二

きみが閻魔大王で
ぼくがその奥さんになることは
みんなの勧めに従ったことだった
なぜか噂にぼくたちは素直だった
好きだなんて気がつかずに
一緒にいることが楽しくて
放課後 遅くなるまで準備をしていた
クラスのみんなも気持ちよく協力してくれて
一緒に遅くまで準備をしてくれた
閻魔大王の奥さんは赤鬼にしよう
ぼくの顔全部を口紅で塗ると言う
でも ぼくは責任者だから
そんなことは気にならなかった
一つの仕事を完成する不安と責任で
ぼくたちいろんな設計図を書いた
みんなはぼくたちの設計図を
気持ちよく受け止めてくれた

きっと噂は定着していたんだ
ぼくにも
きみにも
そして みんなにも
仮装行列はとにかく終わった
高校の運動会はお祭りだった
みんなはぼくたちを主役にしてくれた
一年D組のみんな・・・

「わたしがふいてあげる」
すぐ横にいたきみが
男の子たちを制して
きみの香りのするクリームとガーゼで
ぼくの顔中の口紅を落としてくれた
力の入った指先と
ときおり耳や頬に触れるきみの胸の
あの温かいぬくもりが
ぼくたちの仕事の
「完成」だったような気がする

 

ざわめきとあわただしさと
忙しくみんなが動いている
雑然とした準備室の
わずかな
ぼくたちの時間と空間
「痛かった?」
きみの頬笑みに
ぼくはどう応えていたのだろう


  三

祭りの後の寂しいグランドに
薄青く日が暮れて
帰りのホーム・ルームが終わった
「N君食べる?」
きみがくれた果実の入った袋
一瞬の沈黙と静寂・・・
そして 歓声・・・
こなごなに奪い去られた果実
ぼくの手に大きな柿がひとつ
あの柿は
ぼくの机の中にいつまでもあった
それから ぼくたちは
「もう用事以外は話すのをやめよう。」
そんな申し合わせをしたので
話をすることはほとんどなくなったけれど
ぼくには
きみに会えない日曜日が
ほんとうに嫌いになったのだった



  四

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