思い出の玉手箱                         案 内   
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先生も子らも教え子秋日和

 ぼくは東京に住んでいた。大学を卒業してすぐに他県の田舎の中学校の教師になった。その学校には九年間勤めた。たしかその学校での八年目と九年目に教えたクラスの副級長さんだった女の子が、大学生になって教師の資格を得る過程を学んでいた。その資格を得るための「教育職員の資格を得るための単位のひとつの実習(教職実習)」をぜひ先生(ぼく)の教えているクラスで行わせて欲しいという。ぼくはもう別の学校に転勤していたが、校長先生にお願いした。校長先生は快く承諾して下さった。
 そして、翌年の秋。彼女はぼくが勤めている学校に二週間の実習でやってきた。
 そのときはぼくはちょうどいい具合に中学一年生の学級担任だった。その一年一組を実習学級に貸すことになった。三日間の見学の後、彼女は学級担任と国語の先生(これは他の学級でも教えるのだが)を実習した。賢い人で中学生の時は24学級もある大きな中学校だったが、生徒会の副会長を務めるほどの生徒だった。
 ちょっと恥ずかしいけれど、彼女はこの二週間はぼくよりはるかに立派な教師を務めた。後で中学生たちがぼくに言った。『たぶんできないと思うが、もしできるなら先生と○○先生(大学生の彼女)と交代して欲しい。』。ぼくは「できる訳ないだろう。ぼくの方が偉いのだ。だってぼくは先生の先生なんだから。」なんて訳の分からないことを言った記憶がある。
  中学生の時の彼女は素敵な生徒だった。ぼくはあるとき引っ越しをした。そのときに彼女ともうひとりの彼女の友人に手伝ってもらった。彼女たちの申し出が意外で、とてもうれしかったのを覚えている。懸命に「えこひいき」をしないように心がけたが、ふたりは大好きな生徒たちだった。いろんなことがあった。
 ぼくは早朝に学校へ出勤して、隣にあった野球場でマラソンをしていた。それに気付いた数人のクラスの子たちが一緒に走り始めた。その中心になってくれていたのも彼女だった。


 彼女が教育実習にきてくれたことはとてもとても誇らしく嬉しいことだった。
 この二週間がまるで夢のように過ぎていったことを覚えている。中学校の教師をしていて、教え子が学校の先生になろうとして、その単位を取るための実習をぼくの今の教え子たちを相手に行っている。こんな光景がどんなにうれしく、誇らしくぼくの目に映ったことか・・・。実際、教師の経験者なら分って下さると思う。
 人生上のいろんな都合で彼女は先生にはならなかった。けれども、長じて彼女は中学校のPTAの会長を長く勤めたようである。今は三人の息子の母親である。