思い出の玉手箱                                               案  内   
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憧れへ扉を開ける春を待つ

 中学三年生の三月には、高校受験の結果が分かり、それぞれの進路が決まります。それから卒業式までのわずかな日々は、友との別れの準備や新しい道への心構えをする時間。季節はまだまだ寒い風を吹かせています。そして、日差しの中にわずかな温かさを感じさせております。
 中学生時代は思春期の前期、そう青春といわれる時代の前期なのです。詩集「うどん送別会」の中で、ともみさんがお話ししている「あのね、中学生まではだれもがみんな、やらなきゃならないことが同じだったでしょう。今はもう人によってやらなきゃならないことが違うんだよね。だから、自分で自分のやらなきゃならないことをしっかり見えるようにしておかなくちゃならないんだ・・・。校長先生、そうだよね。」と。そのだれもがみんな、やらなきゃならないことが同じだった中学生の最後の群像はとても美しい。
 この写真はその群像の最後の美しさを物語っているように思えてたまらなく愛おしくなります。このなんとも言えない別れる前の心残りと寂しさの群像の美しさと心を共有できる唯一の学校の先生は「中学校の学級担任の先生」なのです。もうみんな自らの心を語る中学生。これからは人それぞれに違うことを考え、違う道を歩み始める青春の後期に入ります。そのわずかに残された数日の間の群像を写し留めてみました。

 この女子中学生たちは、ぼくのクラスの生徒でした。クラスの友達はもう全員、高等学校や専門学校などへの進路が決まり、クラスの十人ほどが最後の公立高等学校への受験を控えておりました。その子どもたちを勇気づけるために,ある日の放課後サッカー場へ連れて行き、いろいろな話をして聞かせました。男の子もおりましたが、ぼくの話の後で男の子たちはサッカーを始めていたように記憶しています。たまたま手にあったカメラで、何気なく数枚の写真を写した女生徒の中の一枚がこれでした。

 中学三年生まで受け持って、ぼくのクラスの生徒として卒業証書の呼名をした最後の生徒たちです。ひとりひとりにぼくは今でも忘れない思い出をもっています。一心に詩を好んで、詩の話を続けた子。アメリカの大学を卒業して帰国した子。バレーボールの強い高等学校で個人のファンクラブを作ったキャプテンになった子。消防署に勤め女性の消防隊員になった子。同級生で教師になった男性の妻として平凡な家庭の主婦になった子。
 いまはどうしているのだろうと、懐かしく思い出すこの不安そうでいて憧れを遥かに見ているまなざしのまぶしさをぼくは忘れられません。この子たちはもう50才にはなっただろうか・・・。