思い出の玉手箱                    案 内   
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木もれ日も晩夏になりて立つ人と

 もうずいぶん昔のことになります。ぼくが38歳のときだから、36年も前のことになるんですね。詩「バッキンガム宮殿の夕暮れ」は、ぼくの想像ではなく実体験によるものなのです。思い出の一枚の写真がこの詩にある通りを証明しているでしょう。ここはエリザベス女王様のお母さんの館の裏口なのだそうです。この小さな裏口にも衛兵が一人2時間立っているのだとガイドさんが教えてくれました。仲間たちはここからすぐのバッキンガム宮殿の正門の方へ「交代式」を見に行きましたが、例によって数人のへそ曲がりは、こうして秘かな「交代式」の方にいたのです。

 誰かが「あそこの角を曲がって衛兵が来るよ。」と言ったので、まだ若かったぼくは急いで交替のために歩いてくる彼らを見に行きました。きちんと並んで見事な歩調でやってくるのですが、三人はしきりにおしゃべりをして笑っていました。変な東洋人だとでも思ったのでしょうか、ちらっと三人はぼくを一瞥していました。まるで思いがけないところで蠅か何かを見たかのように・・・?

 「交代式」はかなり複雑な動作でした。いつしか待っていたひとりの衛兵の方が混ざって、四人一体となって動いているのです。まるでオモチャの兵隊さんのようにその動作はひとりひとり違うのですが、リズムは見事に一致しているのです。「あれ? 今まで立っていた人はどの人だっけ?」と一緒にいたぼくの仲間の日本人が言いました。ぼくもわからなくなっていました。なにしろその頃のぼくが住んでいる田舎では欧米の方に会うことはめったになかったので、顔の区別がまったくわからなかったのです。『そんな馬鹿なことあるのだろうか?』と今の方は思うかも知れませんが、ほんとうにそういう時代だったのですよ。
 外国、ましてイギリスやフランス、西ドイツなどに出張で出かけるなんていうと、飛行場に見送りの人が来るような時代だったのですから・・・。
  
 この詩は何の誇張も飾りもない、このままの事実でした。みんなは笑うけれども・・・。こんな写真が写せたはぼくだけでした。自分の勇気をほめてやりたい。

バッキンガム宮殿の夕暮れ



三人の衛兵が同じ形で歩いている
もう午後四時の交替だ
しきりにおしゃべりをして歩いているが
歩調や姿勢に一分の誤差もないようだ
赤い服に黒い背高の帽子が
靴音のリズムに流れて街角を折れて来る

白い小さな衛舎の前で銃剣を持って
ひとりの衛兵が待っていた
歩いてきた三人がピタリと止まる
さあ始まる
ダッ・ヘーイ・ホッ・・・
凛とした声が大きく短く響く
右へ一歩、左へ二歩、前を向き、横を向き
ピシッと決まる挙動のひとつひとつが
正確無比に
澱みなく入り乱れて
みごとな交替の儀式に伝統が光る
やがてひとりが残されて
三人はまたみごとな歩調で去っていく

もしかしたら?
ひとつの動作を間違えて
でも群がり集まる人々に
偉大なるグレートブリテンの名誉のために
うろたえる様など見られては困るから
何とも言い尽くせない無念さを
胸の内に凍らせたまま
また
彼が残ることになったのではなかろうか

ぼくはそんな同情をしながら
その衛兵を見ていた
そして一緒に写真を写した
見せてあげよう
写真に写った彼の表情を
女王陛下の守護の誇りと責任に緊張した顔に
しまった?
という影が見えないか?

梧桐がそよぐ道の静かな女王陛下の母君の家の
裏口の小さな白い門の前で
もう二時間
彼は微動だにせず立つのだろう
これが俺の人生なのだと思いながら・・・


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