思い出の玉手箱                                               案  内   
 om20

温かい異国の伝説(はなし)秋の旅
 『伯爵夫人ゴダイヴァは聖母の大そうな敬愛者で、コヴェントリーの町を重税の苦から解放せんと欲し、たびたび夫に対して祈願して(減税を)迫った。…伯爵はいつもきつく叱りつけ、二度とその話はせぬよう窘めたが、(それでもなお粘るので)ついに「馬にまたがり、民衆の皆がいるまえで、裸で乗りまわせ。町の市場をよぎり、端から端まで渡ったならば、お前の要求はかなえてやろう」と言った。ゴダイヴァは「では私にその意があればお許し頂けますのですね?」念をおしたが、「許す」という。さすれば神に愛されし伯爵夫人は、髪を解きほどき、髪の房を垂らして、全身をヴェールのように覆わせた。そして馬にまたがり二人の騎士を供につけ、市場を駆けてつっきったが、その美しいおみ足以外は誰にも見られなかった。そして道程を完走すると、彼女は喜々として驚愕する夫のところに舞い戻り、先の要求を叶えた。』
 ネットで調べた通りの文言を勝手にコピーしてここに引用させていただきました。

 さて、ぼくは今から約40年近く前にイングランドのコベントリー・シティで一週間滞在したことがあります。そのときのある日の観光で訪れた時にイギリスの観光案内の人の言葉を通訳の人に聞きました。そのときにはこんな続きがありました。
「夫人の共についた騎士は事前にこのことを町の長に内緒で話しておきました。するとそのことに心を打たれた町の長は住民にそのことを話し、その日は町人の全てが外出せず、家に篭って全ての家の戸を閉めてゴダイヴァ夫人を見ないようにしました。でも、ひとりだけこっそりと戸の隙間から除いた男がいました。その男はトーマスという名で、人々からは「ピーピング・トム」と軽蔑されたとのことです。それ以来こっそり女性の悩ましい姿を覗く人を「ピーピング・トム」というのだそうです。」
 今は日本で有名なチョコレートの銘柄になっている「ゴディバ」という名は、この伝説にちなんでいるそうですが、当のコベントリー・シティの観光案内のおじさんの発音は「ゴダイバ」でした。この写真は40年前のこの旅で実際にぼくが撮影したものです。

 岩手県に旅をしました。あるホテルのロビーでひとりコーヒーの自動販売機で、コーヒーをご馳走になりました。料金が後払いになっている販売機でした。カップにコーヒーを注いで料金を払おうとしたところ、機械が故障していたのかお金を受け取りません。困ってインフォメーションにいらっしゃった女性にその旨を告げました。若いお嬢さんのような従業員の方が来てくだ って、声を細めてこう言いました。
「この機械がお客様にサービスしようと思って、お金を受け取らなかったんだと思いますよ。」
「えっ? そ、そんな~。」
「どうぞお召し上がりください。私もこの機械に賛成です。」
 愛らしい笑みでまるで内緒のように秘密っぽく囁いてくださいました。
 これと同じような温かい経験は何度もなんどもありましたが、ぼくの記憶ではみんな東北への旅でのことでした。そっと寄り添ってくださるような温かさを度々経験した東北への旅をぼくは忘れません。

 そして、なんとその温かさや優しさを懐かしいほどにイギリスの旅でも感じさせて貰えました。海外への旅をほとんどしたことのないぼくですが、イギリスでの人々の優しさと温かさを感じた時にぼくは「日本の東北」のようだと思いました。そして、今月は妙にそんな旅の思い出に浸りました。もう六年ぶりになる福島県への旅を七月にして、あの裏磐梯近くの土湯温泉に宿泊した時にいただいた旅館の温かいもてなしに心が和んでこんな思い出に浸ったのかもしれません。岩手県の優しい自動販売機のホテル・イギリス・コベントリーシティのホテル・福島土湯温泉の旅館・・・。
 ぼくは北海道から沖縄まで随分旅に出かけています。どこにもその土地独特の素晴らしい観光地があります。そして、それらはぼくの記憶の中に残っています。どこも楽しい旅でした。でも「もう一度行きたいところは?」と聞かれたら、ぼくはためらわずに「岩手県か秋田県」と答えると思います。なぜなら、あのときの「あの方々」にもう一度ぜひ会いたいからです。
「ええっ! そんじゃイギリスでも?」
 と聞かれたら、ぼくは次のようにお話をしたいと思います。
 コベントリー・シティのホテルには30人ほどの日本人の団体で宿泊していました。あるときぼくは確か自分が入っていた部屋に忘れ物を取りに一人で戻りたい時だったと思います。思わず一人でロビーのカウンターに来ていました。まったく英語が話せないので「しまった!!!」と思いましたが、この窮地をなんとかしなくちゃと思いカウンターの女性にこう言いました。
「プリーズ・マイ・ルームキー・スリー・ワン・セブン」
 そうしたら、その女性が顔を輝かせて言いました。
「ユア・イングリッシュ・ベリー・グッド!」
 そして、奥にいた二人の若い女性が出てきて、一人ずつ同じことを言いました。ぼくは唖然としました。なぜなら、彼女たちがぼくの英語を褒めているのがわかったからですが、なんで、三人ものお嬢さんがそんなにびっくりしてぼくの英語を褒めるのだろうか? でも、ぼくはなんだか気持ちがあったかくなりました。一つは、ぼくの言ったことが本当のイギリスの方に通じたということと。二つはそれが「ベリー・グッド」だと言われたことでした。まるでなってない英語をそんな風に褒めるなんて、しかも東洋から来た外国のおじさん(ぼくは三十七歳ぐらい)に・・・。それは娘さんたちのまるで濁りのない優しさと温かさではないかと思うのです。すごいなあと思います。ぼくもこんな人々のようにになりたいと思いました。
 もし、「おまえ、いま一番行きたい外国の国はどこ?」と聞かれたら、本心からすぐに言えます。「イギリスのコベントリー・シティであの娘さんたちに会いたい!」と。
 ぼくにとって「旅」はその土地土地で出会う人との「心の交流」の温かさに触れる安らぎを期待するお出かけです。そして、その温かさを伴ってその土地の素晴らしさを記憶するのだと思います。イギリスのコベントリー・シティはやっぱり「ゴダイヴァ夫人」の伝説と、娘さんたちのあの優しさだと思います。ついでに言いますと、この旅行で感じたすごいことは三人の六十代ぐらいのおばさんの温かい親切と老人男性たちを「ジェントルマン」という言葉で言う意味がわかるほどに、大人の男性が温かくて親切だったことを忘れません。
 
ふとこの詩を読みながらとんでもないことを思い出しました。

 ぼくは若い頃に文部省の出張依頼でイギリスへ二十日間行っていたことがありました。その帰りの前の晩にお世話になったイギリスの学校の先生たちを招待してお礼とお別れのレセプションを行いました。その最後にぼくたちは「蛍の光」を歌いました。そうしたら、しばらく聴いていた彼ら(イギリスの先生たち)がびっくりして、ぼくたちに割り込んできて手を繋いで踊りながら、歌を取ってしまいました。そうなんです。この曲はもともとスコットランドの民謡なのです。そして元気のいい「故郷の空」と、しんみりしている「蛍の光」は兄弟のような民謡だということでした。
 ぼくたちは唖然として彼らにその場の流れを任せていました。その宴の後にスコットランドの民謡と日本の「蛍の光」の姿を話し合って大笑いになりました。自国の民謡が日本のすべての学校の卒業式の歌になっているということに大変おどろいていました。日本人でこの歌を知らない人はいないということにも驚いていました。大勢集まってくださったいくつかの学校の先生たちは、みなさんとても嬉しそうにしていました。素敵なレセプションでいい思い出になりました。


 また、今月更新の「この一編」で、「シェクスピアの恋」を順番で掲載することになりましたが、この作品も実は実際にこのイングランドの旅で行った「ストラトフォード・アポン・エイボン」という村で観光案内のお嬢さんの語りを通訳の方を通して聞いた物語をぼくなりにアレンジして作った作品なのです。

 今年の福島への旅がこんな思い出をぼくの胸のスクリーンに映し出してくれました。


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