思い出の玉手箱 案 内 | |
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古ぼけたアルバムの忘れられたページにさりげなくこの写真がありました。とりわけ印象に残った大事な写真というわけではなく、だれが写したのかの記憶もないツーショットです。でも傘寿の今になって心が痛くなるような懐かしさが込み上げてきました。聞いてください。まるで物語のようなこんな実話を・・・。 ぼくは二十三才の中学教師でした。秋のある日に下宿に遊びにきた三人の女の子にギターを弾いて歌を歌って聴かせました。三人の中の一人の女の子がこの写真の女子中学生です。仮称ですがヒロコさんと言いましょう。ヒロコさんはギターの弾き語りの虜になり、さっそくお父さんにギターを買ってもらい独習を始めました。ぼくは何度か教えたことがあったでしょうか。今はすっかり忘れています。中学二年生になってヒロコさんはもうぼくが担任するクラスではなくなりましたので、ほとんどお話をする機会はなくなりました。でも、すっかりギターの弾き語りの虜になったヒロコさんは、毎日学校の勉強よりも熱心にギターを練習していたらしいのです。中学三年生になっての秋の学校の文化祭ではステージでギターの弾き語りを行いました。もう遥かにぼくよりは上手になっていました。この写真はヒロコさんが中学三年生になったときの修学旅行で富士山に行った時に、久しぶりで懐かしく二人で会話をしているところを友達の誰かがスナップで写してくれていた写真のようです。大きな中学校で同学年だけで六クラスもあったので、観光バス六台で富士山五号目までいきました。そのときの写真なのです。 ところがそれから三十年の時を過ぎての同窓会で、ぼくはヒロコさんと再会しました。まるで古い恋人に再会したような思いで二人は見つめ合いました。それはぼくもヒロコさんもまだあのギターの弾き語りを大切な趣味にして楽しんでいた現役だったからでしょう。不思議に夢のように懐かしくひとしきり恋人気分でいたように思います。そのときのことをぼくは「詩」に書いています。 |
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ぼくの人生は「先生」でした。ちょっとした自慢ではありますが、そしてどこかでもうお話ししたとは思いますが、幼稚園・小学校・中学校・高等学校と給料をいただいて勤めていたのです。その間のぼくの記憶の鏡には同僚の先生方や教育委員会の方々や保護者の方々の姿はただの「遠景」に過ぎません。いつでも子どもたち(生徒)の姿だけが大きく映っています。やがて、その生徒たちが「還暦」を過ぎる頃、ぼくはもう「古希」の周辺にいます。そんな生徒たちと再会することは度々です。そして、この歳になってからですが、男の子も女の子もよく手を繋いできます。懐かしさを言葉よりも深く感じる行為にぼくも嬉しく思うことが度々です。この写真のヒロコさんもきっと言葉では言い表せない懐かしさにぼくの指を離さなかったのだと思います。ヒロコさんはまだ四十歳の半ばでしたけれども。そして、ヒロコさんだけではなくたくさんの教え子さんとの手繋ぎを経験しました。なんと男の子も同じなのです。・・・先生というのはきっと彼らには思い出の中のヒーローなのかもしれません。『あんなにお説教ばかりしていたのに!』と思います。 それにしてもこんな逸話はまるでフィクションのストーリーのように思いませんか? でも「事実は小説より奇なり」という言葉があるように、こんなすごい実話があるのかも知れません。ヒロコさんは中学校卒業の時にはぼくのクラスではありませんでしたからこの後に会うことはありませんでした。彼女も今は古希を過ぎている頃と思いますが、どうしてるかなって思います。
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