ご 案 内
kawara
談話室    案内
今月のトレンド              自家製本・新作・改訂版

sr1

 先月のこのページで紹介させていただいた「詩の小籠」を編集しながら、自分の詩の歴史を振り返っておりました。そのときに「もしかしたら、この詩集はぼくの『心』が幼い頃から追い求め、激しく希求し続けたものではないだろうかという気がしてきました。それならば、作品をもう一度見直して、この詩集にふさわしいものを拾ってこようと考えました。そうして編集し直して「詩の果実」という題に変更しました。
 気持ちは、ぼくの中でぼくの気持ちを込めて推敲したり、訂正したりしていっぺんずつの作品の熟れ具合を確かめて収穫したものになると思いました。よって、収穫したものを入れる名前ではなく、一つ一つのフルーツそのものを意識しようと思いました。ですから、詩集の題名は「詩の果実」(うたのくだもの)という風にしてみました。
 今回は、この詩集の前書き(意図)と後書き(二伸)を紹介します。そのうちにいつか、このサイトの「詩の道標」などで中身のいくつかの作品を紹介できればいいなあと思っています。

 意 図

 アニソン歌手の森口博子さんがお歌いになった、童謡「みかんの花咲く頃」を涙ながらに聞きました。森口さんの歌はやさしい母の声のように染みてきます。「星影のワルツ」をカヴァーで歌っていらっしゃるテレサ・テンさんの歌も涙と共に聞きました。テレサ・テンさんの声は、愛おしい恋人の声のように切なく感じます。お二人の歌はもうぼくの心の耳に入ったままで、ずっと出ようとはしないのです。

 だれもがそんな風に思う歌を持っていると思います。ぼくはこの二つの歌を聞いていると心からしみじみとしてきます。もちろんメロディにも助けられてでしょうが・・・。
みかんの花が咲いている丘を思い浮かべ、そこから見える大海原の展望を思い浮かべ、青い世界の中をゆく白い船を思い浮かべ、母さんの懐の中にいるような思いで、穏やかな安らぎを覚えます。
また、想い合っているのに別れなければならない悲しい宿命の中で愛する相手を思う優しさに、まったく関係のないぼくがなんで涙を流してしまうのかを思います。なんで星影の歌なんだろう。なんでワルツなんだろう。悲しさに埋もれながらも愛の優しさ、温かさを存分に感じさせられて「たまんないなぁ。」と思います。
 歌を歌っている時、聞いている時にぼくは歌の流れや勢いや優しさ辛さを感じはするけれど、思想とか主張とか批判とか、哲学や奥深い真理を意識をすることはありません。歌そのものを感性で受け止めているだけです。だから、「いいなあ。」「しみじみするなあ。」「そうだなあ。」「泣けちゃうよ。」と感じるだけなのです。 

 ぼくはこんなつもりで「詩」を書いています。だから、「詩」を「し」と読まないで、「うた」と読みたいのです。この詩集の作品を、どうぞ野村俊がうたっている「うた」だと思って心で聞くように読んでください。下手な歌ですが、森口博子さんやテレサ・テンさんが歌う「みかんの花咲く頃」とか「星影のワルツ」を聞いているように、心の耳で詩の内容を受け止めていただけたら幸いです。
 詩の意味内容に主張とか批判は期待しないでください。決して哲学とか奥深い真理とかを求めないでください。ただ「うた」を聞くように読んでいただきたく思います。

                                                                          著者


二 伸(あとがきに替えて)

 四十才の頃から趣味として「詩」の世界に入りました。それからおよそ四十年、たくさんの駄作が積もりました。振り返ると「童謡・歌謡」ような抒情歌がほとんどだったようです。
 太平洋戦争の後に、従来の「花鳥風月を愛でるような」抒情の詩を批判して、いわゆる「現代詩」が詩の世界を席巻していたように思います。詩の世界ではその頃の傾向がなんと今でも影を色濃く落としているようです。でも「現代詩」は難解過ぎて一般の方達には理解しがたい詩になっているように思えます。それはとても残念なことです。
ぼくは詩に興味のない人にも理解できる「詩」をこそ今は目指すべきではないかと考えています。そんなことから日本の古代に詩のルーツを辿ってみました。そこには壮大な詩(うた)の世界が広がっていました。そこから学んだことは「うた」はみんなで楽しみ、声を合わせ、心を合わせ、感性で受け止めるものなのだということです。ぼくもそういう「うた(詩)」を作ろうと思いました。
そして、そんな詩の中にぼくがずっと幼い頃から希求していた「人の優しさや悲しさ」、それと「愛されることへの切ない願望」、そして「心の奥底に染みて広がる孤独と寂しさ」を、そっと忍ばせて主張してみようかと考えました。

第一章「草の実の籠」には、イチゴ・メロン・スイカなどのやさしい果菜のような感じの作品を集めました。手軽なサラダ感覚ではありますが。

第二章「木の実の籠」には、リンゴ・ナシ・柿など樹木の実りの、果実らしい食べ心地や味わいを受け取っていただきたい作品を集めました。

 例えるなら、ぼくの詩は今の詩の世界の主食ではありません。あくまでもデザートです。お口に合うかどうかわかりませんが、召し上がってみてください。一作でも共感していただけるものがあれば幸いです。
                                   著者
令和六年 九月 吉日

人形たちのおしゃべり

ninngyoninngyo2

「お彼岸が済んだら、急に涼しくなったね。」
「暑さ、寒さも彼岸までって昔の人は言ったようだけど、ほんとうだね。」
「人間以外の生き物たちも、みんな今年の気候に戸惑っているみたいだよ。」
「ほんとうだね。」
「災害の規模も大きくなったみたいだし、思いがけないところでの災害もあったりね。」
「しばらく平和が続いていた地球も、また生き物たちのわがままに何か警告しているみたいに感じるね。」
「すごいことを言うね。」
「だってさ、戦争があちこちで起こるようになって、なかなか終わらないし。よその国を悪戯しようとしている国もあるし。よその国へ行って悪いことをしている人たちもいるし・・・。」
「なんか、世界の文化も台風のように渦を巻いて、あちこちと影響し始めているみたいな。」
「今月の挨拶はなかなかにグローバルだね。」
「そういえば、アメリカのニューヨーク・シティーみたいな他民族の仲良し市民の街ではさ、朝の挨拶には相手の人を見て『おはよう』も言語を違えるんだろうかね?」
「えっ?」
「・・・自分の母国語で『おはよう』って言われたら、言った人を好きになっちゃうね。」
「だよ、だよ。」
「朝の挨拶のそれだけで、戦争は無くなるかも知れないよね。」
「いいこというね。」
 
「ところでシュンGさんは?」
「今は肩が痛くて、毎日憂鬱そうだよ。」
「可哀想に、目が痛かったり、顔が痒かったり、入れ歯が痛かったり、肩が痛かったり・・・。」
「心が痛かったり、懐が寒かったり、太ももが引き攣ったり・・・。」
「自分で『病気のフード・センター』だって言ってるよ?」
「えっ、病気のデパートじゃないの?」
「そんなに高級じゃないんだって。」
「じゃあ、病気のコンビニじゃないの?」
「コンビニよりは品数が多いんだって。」
「自分の机の前の壁にね、自分がお世話になっている病院の名前と電話番号と、診察券のIDとを書いてさ、カレンダーの病院予約表と照らし合わせて、今日を確認して一日が始まってるよ。」
「可哀想にね。」
「肝臓癌の方などうなの?」
「うん、定期的な抗がん剤と各種の検査と・・・、副作用のケアに悩んでいるよ。」
「でね、『元気?』って聞かれるとね。『病気』って答えてニッと笑ってるよ。」
「相変わらずだね。シュンGさん健在ってとこだね。」
「ううん、病在って感じかな。」
「はて?」

 

 

「阪神タイガースは九月は頑張ったね。でも、今年のリーグ戦はジャイアンツかな。」
「そうだね。」
「関東地方のテレビやラジオのアナウンサーや解説者は、なんとなく阪神タイガースを『あっち側』って感じで扱っていて嫌な感じだけどさ、実際の試合を見ると両チームとも選手は真剣なんだよね。」
「だから、シュンGさんは、ジャイアンツが阪神に勝っても頷いて、『残念だけど、ジャイアンツの選手もよく頑張ったよ。』って言うんだよね。」
「この間もそんなこと言ってたよね。」
「それでこそスポーツ観戦者の心意気だよ。」
「何言ってるのさ。あのシュンジジー奴! 相撲の場合は大違いだよ。『ちゃんと伝統の技くらべをしている相撲と、戦いなんだよ彼奴らは!』というときの表情は違うよ。顔面ばかり狙って張り手とか肘打ちとかで勝敗を決めるお相撲さんには顰めっ面でテレビを睨んでるよ。」
「シュンGさんの気持ちわかるよ。あたいもシュンGさんに賛成だよ。」
「フンなこと言ったって、ルールブックで許されていれば、違反じゃなきゃ堂々とした勝負だろう?」
「うんにゃ、勝負ってのは結果のことなんだよ。そして日本伝統の相撲は『力と技を比べる競技』の精神の芯が通ってなきゃ美しくないんだよ。スポーツは戦争と違って『美』が大切なんだ。」
「なんだか、今月はみんな違うね。言うことが澄んでるって感じだね。」
「真の哲学なんだよ。」


「自民党や立憲民主党の総裁選は、なんとなく澄んでないね。」
「言えてる。」
「どっかの県の県知事のリコール問題も泥まみれだね。」
「どっかの総理大臣も、辞めたら裏のボスになるんだって?」
「そうだよ。九月に辞めるから今のうちに、国民の税金で海外旅行を楽しんで来るんだって。」
「だれが、ご苦労さんって言ってやるかってんだ。」
「はて?」
「国同士の意見の食い違いや、戦争でのリーダーの罵り合いでもまったく澄んでない。」
「政治はだめだね。リンカーンさんやガンジーさんや厩戸の御子さんのような政治家が待ち望まれるね。」
「えっ? 厩戸の御子さんて?」
「聖徳太子だよ。」
「うわっ!古臭っ・・・!」
「なに、ついこの間まで一万円札の看板おじさんだったじゃないか。」
「日本のリーダーとしては、やっぱり彼が最高の偉人だよ。」
「お後がよろしいようで・・・。」
「はて?」

 映画

◯ 「ボクら星屑のダンス」(テレビ・ドラマ)☆☆☆☆
◯ 「相棒(再)・桜田門内の変」(テレビ・ドラマ)☆☆☆☆
◯ 「篤姫」(NHK大河ドラマ・再)☆☆☆☆☆◯

 最近のテレビでのドラマは再放送がほとんどですが、やっぱり面白いものはあります。でも、なんだか情けない感じです。「ボクら星屑のダンス」は、サスペンス・ドラマながら不思議な魅力がありました。最後の「愛」は素敵です。でも、もうひとつ「情」の豊かさが足りない感じでした。NHK大河の「篤姫」(再放送)は、今になっても面白いけどね。今の「光る君へ」は写真は平安時代の雰囲気でボクは好きですが、物語のちまちまさはなんともいけません。

 音楽

  「津軽あいや節」                竹野留里さん

 すばらしい節回しです。大好きの一言です。まさに痺れました。最近の大ヒットだとボクは思います。何度も何度も聞きました。そしてまた聴きたくなりました。機会があったらぜひ聴いてください。また、そのほかにも竹野留里さんの歌は、とても声が澄んでいて素敵です。久しぶりに感動しました。彼女は今ぼくのイチ押しの歌手です。

 今月のため息     心身を 初秋の風が 吹き抜ける   シュンG  

 句の心を覗いてみよう 

 
九月はなんといっても左肩甲骨の下の痛みに悩まされた月でした。癌の転移か? 限界を超えた肩こりの所為か? 入れ歯の修理の仮歯も痛くて、その上に抗がん剤の副作用もしつこくて・・・。八十歳半ばの老いた心身を痛めつけておりました。彼岸を過ぎて急に寒くなった秋風が無情にも吹き抜けてゆく寂しさはあの悲しげな「もがり笛」のように心を鳴らしておりました。。

 9月のニュースあれこれ

◯ 入れ歯の修正で、昔の教え子の歯医者さん(東京歯科大学の先生)に通ったこと。

◯  千葉市詩話会の九月例会に出席したこと。

◯  肩が痛くて我慢したこと。

今月の受贈などなどの感謝

 ・ 詩話会冊子 第22号        根本 明 さん
 ・ 詩誌「日本未来派・247号」   磯貝景美江 さん    


 

 

 

 先頭に戻る

 仲間のホームページへの橋

 
日本詩人クラブ 
      現在所属している詩人の組織です。 
  Leaf novel   
      サークル「玄」の会長さんのページです。
  Wind letter  
      お世話になっている「玄」の会員さんのページです。
 千葉詩話会   
      千葉市の詩人たちを中心に集う「合評会」の詩の仲間です。