抒情詩  印旛沼の風                アーカイブの窓へ   工房   案内


 この作品は詩も絵も最近になって創作したものです。でも、アーカイブの場所での展示にしたのには訳があります。ぼくはもう五年ほど前から詩のルーツを我が大和の国に求めてささやかな勉強をしてきました。その想いを込めての詩と絵ですのでここに展示したいと考えたのです。

○ 今から二千年以上も前には今の千葉県(房総の国)は島国だったようです。常陸国(茨城県)と房総の国(千葉県)の間には大きな内海があったということが地質調査などでわかっています。大まかにいうと常陸国の筑波の峰の麓から房総の国の印旛沼の畔の間は海だったのです。

○ この地域にはもっとずっと昔(二千年以上も昔)から縄文の人たちが住んでいて、一時代にはまるで都のように人々が多く住んでいたようです。この地方の歴史的な書物に「常陸風土記」というのがあるそうですが、その中のお話でわかるこの地方一帯(信州・遠州から陸奥国ぐらいまで)という壮大な範囲のお見合いと結婚の儀式(今でいう合同コンペ)が年中行事として行われていたようです。その準備や後始末なども含めて、おそらく期間は一ヶ月近くに渡っての行事だったのではないかと思われます。 その行事の終末には何日間かに渡って今でいう『披露宴』が行われていたのではないかと思われます。その披露宴の呼称が『歌垣』(常陸風土記では「かがい」)だったと思われます。そして、この壮大な合同コンペ全体を『歌垣』という風に後に伝えられたのだろうとぼくは推測します。(くれぐれも渡来の人々「弥生人たち」とその子孫が言ったのであろう、自由な性風俗の催しとは思わないでください。) =なぜなら、この歌垣のような風習は現在でも世界各地に集落の大事な行事として残っているからです。

 詳しくはこのサイトの「ずっと昔の話」をご覧ください。
   

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  印旛沼の風

 

風は太古の昔からずっと吹いていた
古代にも 黙って遥かを眺め
水面に吹く風に
髪を揺らして立つ人がいたかも知れない
いま湖畔に立ち尽くす ぼくに吹いているように

遠く筑波嶺の麓から続いて
かつては海だったこの印旛沼の畔に
縄文の人たちにも遠く故郷を思い
立ち尽くす旅人が居たかも知れない
その彼らの後れ毛を吹いたその風が
いまぼくの前髪を揺らしているのだろう

大空も風も 日の光さえ何も言わない
沼の水面も縁取る村々も森や林も何も言わない
けれど大地の下にささやく歴史があり
飛鳥の頃の書物は その昔を語るという
古代への旅をする考古の人たち
古書に文化の面影を尋ねる人たちは
ここ印旛沼の岸辺で
古代人の文化の香りに包まれるという
たくさんの人たちの声を聞くという
一大都市の蜃気楼を見るという

筑波嶺の麓の都の春秋の祭典に
遠くからたくさんの人々が集う
遠州よりの旅の乗り合い船で
信州よりの開墾道を幾人かの群れで
総・安房の岬より数艘の艀で
三々五々に集まってきた若人たち
世話役の大人たち
筑波の峰の麓の大きな祭り
「歌垣」(カガイ)の幾夜に参加して
今年の豊穣を神に感謝し
生涯の伴侶を得 歌で結ばれた人たち

 

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幸せをお土産に故郷に帰ろうとしている
縄文の民たちの祭りの後の
満たされているのに
なぜか遠い明日を思いながらの
心の空洞に
望郷の思いを乗せてこの風は入ってくる

常陸の国の筑波嶺の里から
海を挟んで広がる総の国との
大きな大きな水郷の都 
豊穣な文化の里の大空には
いつもやさしい風が吹いていた
風たちは全土から集まってきた
多くの地方の文化を乗せて 風聞を乗せて
縄文の人々の都 花開くこの地へ
みんなに会いに来るように吹いてきた

縄文の時から続く弥生の時をそよぎ
大和の里の賑わいを乗せて伝えた風
飛鳥の文化をひらひら舞わせた風
貴族の詩歌を誦する声 和歌で恋を乗せる風 
僧侶たちの読経 白拍子舞いの歌舞音曲
戦士の叫び 幸若舞いたちの歌声
礼儀正しい武士たちの心の声 歌舞伎たちの歌
流れ続けた庶民たちの民謡の調べ
みんな今日の風にもう音量もなく歌もなく溶け込んで
やさしくぼくらを包んで吹いているようだ

今日 未来に向かう眼差しの子らと手を繋ぎ
今はひっそりとしている湖畔で耳を澄ませている
田舎教師のぼくと可愛い子らにやさしく吹いている
この風は歌と文化を載せて来る

この風は遠い文化の心の風に違いない気がする