抒情詩 印旛沼の風 アーカイブの窓へ 工房 案内 |
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○ 今から二千年以上も前には今の千葉県(房総の国)は島国だったようです。常陸国(茨城県)と房総の国(千葉県)の間には大きな内海があったということが地質調査などでわかっています。大まかにいうと常陸国の筑波の峰の麓から房総の国の印旛沼の畔の間は海だったのです。 ○ この地域にはもっとずっと昔(二千年以上も昔)から縄文の人たちが住んでいて、一時代にはまるで都のように人々が多く住んでいたようです。この地方の歴史的な書物に「常陸風土記」というのがあるそうですが、その中のお話でわかるこの地方一帯(信州・遠州から陸奥国ぐらいまで)という壮大な範囲のお見合いと結婚の儀式(今でいう合同コンペ)が年中行事として行われていたようです。その準備や後始末なども含めて、おそらく期間は一ヶ月近くに渡っての行事だったのではないかと思われます。 その行事の終末には何日間かに渡って今でいう『披露宴』が行われていたのではないかと思われます。その披露宴の呼称が『歌垣』(常陸風土記では「かがい」)だったと思われます。そして、この壮大な合同コンペ全体を『歌垣』という風に後に伝えられたのだろうとぼくは推測します。(くれぐれも渡来の人々「弥生人たち」とその子孫が言ったのであろう、自由な性風俗の催しとは思わないでください。) =なぜなら、この歌垣のような風習は現在でも世界各地に集落の大事な行事として残っているからです。 |
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