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   少 年

 

 一

街に少年の噂が流れていた
それは夕陽の匂いのする物語だった
・・・そして あの少年は消えた
と結ばれた
ある者は空に吸われていったと言い
ある者は時間に溶けていったと言い
またある者は夕陽と一緒に落ちていったと言った
そしてその誰もが
少年は人形を肩車していたと言った

母がいなくなってから
少年は母を待ってひとりで暮らしていた
かつては狂気になって探しまわった
泣きながら
すべての谷間をさまよった
呼びながら
すべての丘へ登っても見た
それから人混みをうろつき
いろんな人に頼んだ
町中のどの街角にも尋ね人の貼紙があった
母を見かけた人は知らせてください
けれども少年の母の消息はなかった
少年は終日 家の中に閉じこもった
そして長い時が過ぎた

もう一通の手紙も来ない
迷い込んだように訪れる虫もいない
さみしさを紛らして占う一人遊びが
延々と続いて
少年の沈黙は習性になっていた
声を掛けて貰うことがなくなって
机の上の人形は
人形そのものになってしまった
すべてのものは
静かな存在だけになってしまった
かつてこみ上げる悲しさに
狂気になって駆け上がった丘の風景も
いまは枯れ枯れとして
ひび割れた油絵のように
壊れかけた窓枠の額に収まっていた
引きずっていた思い出も擦り切れて
母の面影も浮かばない

その日は穏やかに日の光が降りそそぎ
そよ風が吹き
花たちが頬笑み
街は春祭の前の
浮き浮きした賑やかさに満ちていた
人々は幸せと歓びと希望に満ちて
それぞれの
お祭りの準備に余念がなかった
だが 不思議に町中の誰もが
少年を見掛けたような気がするのだった
いつだったのだろう
どこでだったのだろう
その記憶は誰にもないのに
確かに少年を見かけたような気がするのだ
それで少年の噂が広まったのだ

 二

見渡す限りの荒野を
少年は人形を肩車して歩いていた
こうしてもうどのくらい歩いただろう
荒れ果てた丘陵を
視界をさえぎるもののない平地を
さざ波のない湖の辺を
突き刺すような光の中を
砂のようにばらまかれた星空の下を
少年も肩の上の人形も
黙したまま
黒い彫像になって歩いている
歓びも悲しみも憂いも
楽しみも寂しさも
怒りも悔恨も
忘れ果ててしまった表情で
少年は歩いていた
疲れた足取りで機械のように歩いていた
無限の荒野を
それはまるで止まったまま前進していた
否 前進しながら止まっていた

 






大空は漆黒に沈み
荒野はどこまでも白かった
その荒野の中に
少年と人形は黒点になって
動いているのか止まっているのか
止まっているのか動いているのか
わからないほど
わからないのだ
肩の人形が少年の髪を撫でる
それは母の仕草・・・
肩の人形が少年の髪を掴む
それは母の励まし・・・
ふたりのまなざしが
はるか彼方に焦点を求めていた
少年は肩の人形を気遣い
人形は少年のリズムに揺れる
肩車を忘れ
肩に乗っていることを忘れ
肉体も感覚も融合して一体になり
歩いて 歩いて歩いて
歩いていることさえも忘れたように
歩いた
永遠のように足跡が続き
幾千年の時は過ぎ
感覚は浮遊して
意識はおぼろになっている
時間はいつの間にか空間になり
昨日 今日 明日を
行きつ戻りつさまよい続けていた
空間はいつの間にか時間になり
ひたすら母の面影のみを求め
その方向は固定していた
かすかに前兆があって
空間が歪んでいる
漆黒の空に渦がゆっくりと起こり
オーロラになり
狂おしく捩れて
大地は揺りかごのように揺れ始めた
少年はうっとりと空を見上げようとした
「見ちゃだめ!
 感じで受け止めようね。」
人形が少年の目を塞ぐ
目隠しをされた少年のまぶたの中で
大空が輝き始める
そして大空が巨大な鏡になる
その中に人形を肩車して歩く自分の姿を見る
じっと自分を見つめる
慈愛に満ちた人形の顔が映っている
「・・・お母さん。」
「言っちゃだめ-
 感じで受け止めようね。」
人形が少年の口を塞ぐ
すると少年は鏡の中に吸い込まれて
辺りの光の綿の中に包まれて
人形の両腕の中に
体ごと落ちていく
そして
柔らかな膝にまたがり
温かい胸に抱かれて
乳房の間に頬を埋めて
少年の体内がほのかに温かくなる
少年はその温度に少しずつ溶けていく

 三

おめめつぶって
お話はもう終わり
いい子だよ・・・
温かな春のひだまり
おじいさんは可愛い人形のような
幼い女の子を抱いて
「やさしいお母さんになるんだよ・・・。」
そうささやいた
女の子は小さく頷いておじいさんにもたれて
すやすやと眠るのだった

               完