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      交響詩「李花さん」

 

  第一楽章・「思い出から来た人」

李花さんはいつもさりげなく部屋を訪う
昨日とおなじ笑顔をみせて

彼女はもしかしたらぼくの思い出の中の人だ
遠い昔の青春のどこかで語り合ったことのある
心の友の再来のようだ
ぼくはそんな懐かしさで彼女と話をする
あの遥かなぼくの青春の辛さを昨日のことのように話す

「私もなんだよ、先生。」
李花さんはそう言って自分も辛そうな眼差しをする
それから窓辺であの青い空を涙に浮かべて
壊れてしまった夢の欠片の後始末や
もしかしたらまだ直せるひび割れた夢の修理について
そっとぼくに尋ねる
ぼくは自分の人生の古びたアルバムを
なぜか裏表紙から六十年を遡っていくようにめくり
もうセピア色になっているぼくの青春のページを見せながら
「思い出考古学」のように青春を語る

それが、ここ人生のミルキー・ウエイのほとりの庵の
「青春相談室」でのぼくの仕事なのだ
彼女は訥々と語るぼくの話に黙って頷く
青春の日々を疲れて通りがかったこの小さな庵に
公園のベンチに腰掛けるように訪い
ひとしきり爺さんのぼくと話す
まだ若いけれど、李花さんも人生の旅人なのだ

  第二楽章・「二人だけの送別会」

その日、ぼくはこの庵「青春相談室」から旅立つ別れを
いつも来る四人の高校生たちに告げた
ひとしきり黙って聞いていた彼女たちは
そっと、別れの訳を聞いたり
次はどこへ旅をするのかを聞いたりしていた
寂しさと名残惜しさと、これまでの感謝とを
ことば少なに織り交ぜながら・・・

相談室にも授業の予鈴のチャイムが鳴った
今日は期末テストの二日目だという
彼女たちは急いで部屋を出て行った
ちょっと遅れて立ち上がって
李花さんはそっとぼくに聞いた
「おじさん、きょうは何時までいるの?」
「ああ、いつも通りだよ。」
「じゃあ、あとで来るからね。」
そう言うと急いで仲間を追いかけた

午後二時、李花さんはひとりでやってきた
温かいココアの缶をふたつ
生クリームと苺を挟んだシュー・クリーム風のお菓子を二つ
大事そうに持ってきてぼくの机の上に置き
側の椅子を自分用に引き寄せて座り
それから、いつも一人で来る時のように
ぽつぽつと身の上話をするように語り始めた
友達のこと、吹奏楽部の定期演奏会のこと
中学校の思い出や母のこと
 (彼女の母はかつてぼくの教え子だった)
家族や親戚のおばあちゃんのことなど
ココアやシュー・クリームのように
たくさんのお話を机の上に載せてくれた

「明日も期末テストの続きだよ
 もう帰って勉強しなきゃ・・・。」
ぼくは時計を見ながらそう言った
もう午後四時を過ぎていた
「おじさんは何時に帰るの?」
「ぼくの勤務は五時だよ。」
「それじゃあ、それまではお話しよう。」
「えっ、だって期末テストは?」
「そんなのはいいの。」

いつもそんなことは言わない李花さんなのに
じっとぼくを見ている目に親愛の情が見える
もしかしたらさっきの別れのお話が・・・。
ひそかにぼくと二人だけになって
ぼくとの送別会を目論んだのだろうか
ココアとお菓子の意味がわかったような気がした
そんなことは何も言わず
ただ愛らしい笑顔で物静かに話している
なんという李花さんの心遣いなのだろうか
その途端にぼくの心は涙でいっぱいになり
胸が泣きそうに膨らんでいたのだった

李花さんはこんなに心の温かい
可愛い高校二年生なのだ

  第三楽章・「人形カウンセラー」

あるとき、季花さんがこんな話してくれた。
 
まだ二月だけど
昨日の日曜日は温かかったよね
ぽかぽかの日だまりの公園で
おばあさんがひとりで
ベンチに座ってたんだけどね
自分の隣にお人形を座らせてたの
それでおばあさんはその人形に
ずうっとお話をしていたんだよ
いつまでもいつまでも
まるでほんとうのお話し相手のように
話しかけているんだよ
 

  

 

 

わたしブランコに乗ってずっと見ていたんだ
一時間ぐらいかな
ときどきハンカチで目を拭いてたから
悩みとか悲しいこととからしいけど
じっと人形に話しかけているんだ
いろんなことを話して
おばあさん泣いてたんだよね、きっと
 
分かるんだあ~
今は最後までちゃんと
人の話を聞いてくれる人っていないものね
三分ぐらい話していると
もうこっちの話を聞いてくれていないのが
よくわかるよ

みんな自分のことは話したいし
聞いてもらいたいのに
相手の人の気持ちは考えていないよ
相手の話はほんのちょっと聞いて
こっちがまだ話し終わっていないうちに
自分の話を始めちゃう
そんなときはしょうがないから
こっちがすぐ黙っちゃうんだけどね
いままでそんな寂しい思いを
何回しただろうって思うよ

おばあさんの話を聞いていた人形は
丸い目をして真剣な口をしてたんだ
人形は同じ表情で、何時間でも聞いてくれるもの
そのおばあさん、きっと話を聞いてくれる人がいなくて
人形に聞いてもらってるんだと思ったよ
私、その気持ちはよくわかるんだ 
その人形は
カウンセラーの先生みたいだった
シュン先生みたいだったよ

   ぼくはほんとうにその人形のような
   カウンセラーだったんだろうか
   おばあさんの様子を見続けて
   おばあさんの寂しさに心を寄せる
   季花さんの心の奥の
   ほんとうの寂しさを
   聞いてあげることのできる
   カウンセラーだったんだろうか

   しみ込んでくるように寂しくて
   なんと心のある話だろうと思った

 第四楽章・「別れ」

春めく明るい曇天の下に
「蛍の光」のメロディが流れて
学校に別れを告げる先生たちの離任式が進んでいた
ひとりひとりの先生たちが名残りをさまざまに語り
それぞれの思い出が流れていた
そのしんがりはぼくだった

ぼくは李花さんが語ってくれたお話を
詩にして「人形カウンセラー」という題で
今日の別れの挨拶代わりに朗読した
すると今までは拍手なんかなかったのに
ぼくの話に生徒たちが拍手をしてくれた
離任式の挨拶に「詩」の朗読などは
珍しいことだったからだろうか?
でもぼくはすぐに気がついた
拍手はぼくの思いつきに対してのことではない
こんな心にしみるような話をぼくにしてくれた
一人の女子高校生への
共感と感動の拍手だったのだろうと思った
誰もが人としての孤独をしみじみ感じ始める
そんな思春期の悲しみに心から共感しているのだと思った

ぼくは李花さんの名前は伏せた
だれも彼女を知らない
だからまさに一人の女子高校生なのだ
その彼女に贈る拍手だったに違いない

校長先生は
「カウンセラーの先生がこんな素敵な詩人だとは知らなかった。
 とても感動的な素晴らしい作品だった。」と褒めた
生徒たちの拍手をそう受け取ったのだろうか

式を終え、生徒たちが作る花道を
別れを惜しみながら送られるぼくらは歩いた
しんがりを歩いたぼくは生徒たちにこっそりと聞かれた
「先生、素敵なお話をありがとう。その子ってだれなの?」
「あのお話は本当のことだったんですか?」
「その子の気持ちよくわかります。
・・・誰なのか教えてください。」
ぼくは質問を笑顔でかわして
李花さんの名を言わなかった
しんがりのぼくが通り過ぎると花道は崩れて
生徒たちはてんでに教室へ向かっていた

会場から出て教室のある校舎へ渡る廊下の隅で
ぼくを待っていたように佇んで
顔にハンカチを当てている女の子がいた
その子、李花さんはこっそり呟いた
「先生、ありがとう。」
 (おじさんとは言わなかった)
ハンカチを外した顔は涙に濡れている
赤くした目からはまだ涙が流れていた
ぼくも小さく頷いてちょっとだけ涙を拭いた
それから彼女は
ふたたびハンカチで自分の顔を隠して
そっと自分の中へ帰るように生徒たちに紛れて消えていった

李花さんとの最後の別れだった



               完