詩の小舎                               書斎      案内

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 目 次      マッチの光  思い出ワイン  少年  交響詩「李花さん」     交響詩「天の川」  ハクサン・フウロ  

          オカリナの思い出   線香花火 


ぼくのハクサン・フウロの物語

      Ⅰ

 山の風に揺れて幼子の頬笑みのように咲いている花。ぼくには彼女についての思い出がたくさんある。思い出すと涙が出てくる。恥ずかしくてこっそりと目を拭いて山の空を見る。
 今年も菅沼の草木やキャンプ場のたたずまいはやさしかった。朝早く起きてみんなして山に登っていった。今日は快晴だった。ぼくは一人で広場のベンチに寝ころがっていた。そうしてぼくは山のひんやりとした風に吹かれながらぼくの菅沼アルバムをめくっていた。
 雨の三日間もあった。嵐の日に登ったこともあった。五色山頂で風に飛ばされないように、前の人のカッパを掴んで尾根を渡るように歩いたこともあった。足元の雲の中を稲妻が横に走っていった。恐怖で誰も何も言わなかった。そんなこともあった。大雨で森林の中までがんばって、坂道でたったまま弁当を食べたこともあった。弁当の中に流れ込む雨水に泳ぐご飯粒を口に流し込んだことを覚えている。ご飯の上の一面の朝鮮漬けがどんなに元気づけてくれたか知れない。その朝みんなの弁当を作ってくれていた男の子に感謝したものだった。快晴の日もあった。疲れて疲れてやっとたどり着いたのに、生きていてよかったなどと言いながら、生徒としばらく奥白根の雄姿に見とれたこともあった。
 怪我をした生徒とぼくともう一人の先生の三人で、みんなに遅れて午後三時に弥陀が池に着いた。忍び寄る夕暮れにせかされながら束の間の休憩をとった。
「高山植物の花はやさしいね、先生。」
 怪我をした太っちょの思いがけないことばに、その眼差しを追うとハクサン・フウロが咲いていた。「おまえもやさしいことを言うんだな。」
 彼は照れて立ち上がり
「先生、行こう。」
 と言った。ぼくのクラスの生徒じゃなかったから名前も覚えていないが、今ごろはどうしているのかな。
 湯本の湖の辺から前白根山へ登り、五色山へ出て弥陀が池へ下りるコースを辿った。前白根山から五色山への尾根の鞍部の岩陰でふと立ち止まって一瞬の休息を取ったときだった。岩陰で山の風に吹かれてかすかに揺れていたかわいい花を見つけた。ぼくは何という名前だろうとずっと気にかけて、学校へ帰ってから植物図鑑で調べた。彼女の名前はハクサン・フウロと言うのだった。ぼくは独りぼっちで奥白根の峰を見ていた彼女の可愛らしさの虜になり、菅沼へ行く度に彼女を探していた。五色山のお花畑で会ったこともあった。戦場が原で会ったこともあった。彼女の頬笑みに出会う度にぼくは元気が出た。 ぼくの部屋にも本棚にもないぼくの菅沼アルバム。ぼくの菅沼アルバムは菅沼にある。そして、その表紙にはハクサン・フウロが咲いている。
 今年はキャンプファイヤーの「火の儀式」で女神になった女の子をぼくの菅沼アルバムの最初に貼ろうと思う。みんなのためにあんなに緊張して、真っ白なカーテンに身を包んで小学生のように誓いのことばを言っていた。四人の天使に分火をする小さな女の子の真剣な表情を火は赤々と映し出していた。そのいかにも中学二年生らしい端正な後ろ姿にも緊張がみなぎり美しい姿であった。彼女はぼくのハクサン・フウロによく似合う。
 中央の残り火を囲んでフォークダンスを踊ったときに、
「あたしだよ先生、女神!」
 そう言って弾むように踊って去っていった。彼女が誰で何という名前か未だにわからないのだが、それでいいと思う。また菅沼に来るだろう。どこかでハクサン・フウロに出会うだろう。そのときぼくは女神の女の子を思い出すだろう。少女の真剣な美しい姿を鮮やかに見るだろう。
 今年は山には登らなかった。前白根山から五色山への尾根の鞍部の岩陰に、きっとハクサン・フウロは揺れて雄大な奥白根山に見とれていたに違いない。
「来年は頑張って、おいでよ。」
 そんな声が聞こえるような気がする。

     Ⅱ

 ぼくはこの三日間の山の生活が好きである。何にもないところなのに、何度行っても飽きない。なぜだろうか。きっと人としての原点に帰ってきたような気がするからかも知れない。ちょうどパソコンの画面をクリアするように、今まで生きてきたこと全部クリアして、一から始められるような気がするからかも知れない。
 一緒にバンガロー生活をすると、今まで親しかった友達の良い点や欠点が見えてくる。ふだんはすごく親しいのに、意外にわがままだったり、嫌みな奴なのに、意外に働き者だったりする。山でのバンガロー生活をすると、学校では飾っていた性格の本当の姿が見えるのだろうと思う。
 山登りはけっこうつらい。だから、こんな時にも友達の本当の姿が見えてくる。人は誰でも苦しくなるとわがままになる。自分のことしか考えられなくなるからだ。それでも思いやりのある奴は、ふっと休憩時間に優しくなる。この人は本当はいい人なんだと思えるようになったりする。
 山では今まで見たこともなかったような思いがけない美しい風景に出会う。それはテレビや写真でなんか見るのとはまったく違う。素晴らしく感動的である。草花なんかすごくいい。池の水には山や雲の姿が映って、風が冷たくて気持ちいい。疲れているから水も美味しいし、氷砂糖や檸檬がまるで世界で一番美味しいもののように思えてくる。疲れている先生は学校にいる時の先生よりは数倍も優しい気がする。(?)
 キャンプ・ファイアーは感動的である。暗い森や山を背景にして、火の粉が舞い上がり、静かな笛の音が聞こえて『遠き山に日は落ちて・・・』なんて歌が流れると、もうこのまま世界が終わってもいいって気がする。空には星が二倍はある。

 あんまり空気が澄んでいるから、自然も人の心もみんな底の底まで見えてしまうのかも知れない。よい経験をしてきて欲しい。ぼくには奥日光の山に昔付き合っていた恋人がいる。ハクサン・フウロという花である。もし山に登って出会ったらよろしく伝えて欲しい。ぼくはきみをまだ愛していると伝えて欲しい。
           校長 野 村  俊                             

 * キャンプ生活をする中学二年生の生徒のしおりの巻頭にこんな文章を書いた。どういうわけか評判が良かった。(先生らしくない)からいいんだと男子生徒が言った。でも、そんなことよりぼくの本当の気持ちを生徒に伝えたかった。山から帰ってきた女子生徒が真っ先にぼくの所へ来て言った。「校長先生、ハクサン・フウロに会ってきたよ。」その女子生徒の笑顔がとっても可愛らしかったのを覚えている。

     Ⅲ

 詩を作った。愁いを覚え始めた少女を主人公にして、青春の思いで胸いっぱいの重い無言を高山植物の花に寄せて歌おうと思った。

  黒いひとみを湖にして
  愁いを浮かべた子のように
  胸いっぱいの思いがあふれ
  あふれる思いをそのままに
  歌を忘れた小鳥になって
  流れる雲を眺めてる
  ハクサン・フウロという少女
  青春《はる》の峠に咲いた花
  
  長いおさげの髪を切り
  リボンと別れた子のように
  夢いっぱいの心が重く
  誰にも言えない秘密が重く
  風とささやく言葉もなくて
  遥かな山を眺めてる
  ハクサン・フウロという少女
  尾根の小道に咲いた花

   あこがれ色の青い空
   見渡すかぎり続く峰
   こぼれるような陽の光
   薄紅色の頬にやさしく  
   さやかな風が吹いていく

 校長室に遊びにきた中学三年生の女子生徒に読んで聞かせた。彼女はぼくがこの詩を作る時に想定した主人公の女の子にぴったりだと思ったからだ。じっと聞いていた彼女はぼくの手から直筆の原稿を取り上げて読んだ。そして、ぼくの目を見ながら真剣な眼差しで言った。
「先生、これだと中学生らしくないよ。中学生はこんなんじゃない。いっぱい実って弾けそうな胸の中の思いが、歌の中でもっともっと輝いてほしいな。憧れを求め夢を追いかけてほしいよ。どこまでも広がる空がほしい。」
 という。そしてさらに言葉を続けた。
「風に吹かれて清らかに揺れているだけじゃ中学生じゃないもん。」
 でも、そんな風に書き直してしまうと、静かに満ちてくる青春の重たさが消えてしまう。その重さに耐えている、実り切る前の果実の苦しみが描けないし、そっと遥かを見つめる瞳に青春の愁いが浮かんで来ないとぼくは強く思った。だから、彼女のいう通りに直すような推敲を躊躇って、その訳を彼女に説明した。けれど彼女は納得しない。
「先生はほんとうの中学生を知らないよ。私たちはいろんなことを思うけど、その思いに沈んでなんかいないよ。悲しければ泣いちゃうし、嬉しかったらすっごく喜んじゃうよ。それってもう体で表しちゃうよ。もし、誰にも言えないような秘密があれば、言える人を夢中で探すし、我慢なんかしていられないんだよ。」
 そう言いながら彼女はぼくに訴えかけてから自分に言い聞かせるように、より大きな声で付け足すように言葉を重ねた。
「そりゃあ、わかんなくなっちゃうことはいっぱいあるし、寂しいって思うこともあるけどね。ちょっとはひとりで考えちゃうこともあるけど、ずっと黙っていることなんかできる訳ないもん。」
 そして、ぼくの原稿を机の上に置いて鉛筆立てから勝手に鉛筆をとって直し始めてしまった。
「・・・こんな言葉や言い方は中学生の気持ちとは違うんだよな。」
 可愛い丸文字が棒線で消したぼくの言葉の隣に並ぶ。彼女が直した原稿を手にとって読んでぼくはやっぱりそれでは困るとばかりに、消しゴムで棒線を消して元の言葉を生かそうとした。
「あのさ、その言葉がなくなるとぼくが消えちゃうんだけどな~。」
 ぼくは情けなくなって必死でぼくの言葉や言い方を守ったのだった。

「でもそれじゃ~、やっぱり違うんです。」
 彼女はそう言って首を振ってぼくを見上げている。
「それじゃあ、こう言ったらどうだろう?」
 彼女はやっぱり首を振る。ぼくはじっと考えてさらに別の言葉で直す。それでも彼女は首を横に振るのだ。ぼくは自分の心がずっしりと重くなるのを覚えていた。
「そこはやっぱり中学生の気持ちじゃないって思います。」
 ぼくはまた別の言い方を考えるがすぐには出てこない。ちょっとした沈黙が生まれる。彼女も一緒に考えてくれているようだった。だから次の言葉は彼女からだった。
「ねえ先生、ここの行はもっと楽しそうにこうしたらどですか?」
 それじゃあ主人公のこんなの子が軽すぎるじゃないか・・・。ぼくは納得がいかなかった。そうしてぼくの思いと彼女の思いがせめぎ合って、延々と推敲の戦いが続いていた。

「きみの言おうとしている考えが少しはわかったよ。書き直してみるから明日も来てくれる。」
「うん、楽しみにしている。きっといい詩にしてあげるからね。」
 彼女はニコニコして何だか嬉しそうに手を振って帰っていった。
 その夜、ぼくはまたその詩の推敲に苦しめられることになった。詩の出来栄えなどはどうでもよくて、いっそ彼女のいう通りにして完成させてもいいのだけれど、実はそうもいかない訳があった。それはぼくがある著名な作曲家に依頼されて、作詞を引き受けたその作品の推敲だったからだ。あと二週間ほどの後にその作曲家に届けなければならない。作曲家はある出版社からの注文で歌を作る依頼を受けているということだった。その原稿だからいい加減なところで放り出すわけにはいかなかった。
さりとて、ぼくだけの想像の感性で作ったのでは浮ついたものになる。やっぱり歌の中に主人公の中学生が生きていなくてはならない。そんな経緯でのことだったのである。

 辛い苦しい推敲だった。ぼくは思い切って自分が描こうとしていた少女の思いを、推敲に付き合ってくれた中学生の彼女の心に沿うものにしてみようと思った。

  長いおさげの髪を切り
  リボンと別れた少女です
  あこがれ色の遥かな山に
  希望と夢を祈っています
  風とささやくことばを忘れ
  かがやく頬をそのままに
  尾根の小道に咲いた花

  黒いひとみを湖にして
  愁いを浮かべた少女です
  広がる空に孤独を知って
  勇気と愛を誓っています
  歌を覚えた小鳥になって
  あふれる思いをそのままに
  青春《はる》の峠に咲いた花

   少し寂しい面影に
   こぼれるような陽の光
   ハクサン・フウロという少女
   薄紅色の頬にやさしく
   さやかな風が吹きました

 次の日、彼女は帰りのホームルームが終わるとすぐに校長室へ来てくれた。ぼくは書き直した原稿をつけの上に広げて待っていた。彼女はそこらへんの床の上にカバンを放り投げてすぐにぼくの原稿を読み始めた。何度か読み直してから彼女が顔を上げてぼくを見た時に、彼女の瞳に潤いが輝いているのを見た。そうして黙ったままぼくに大きく頷いた。たぶん納得できたのだろう。ぼくはいつの間にか彼女のお墨付きが欲しいような気がしていた。だから、次の彼女の言葉を待った。
「うん~、まあまあかな。昨日のよりは中学生に近づいて来たって感じ・・・。」
 なんだよ。あんなに苦労したんだからもう少し褒めてよ、と思いながら物足りなかったがそれでもなんとかホッとした。まるでなんかの試験に合格したような気持ちだった。
「あ~よかった。ありがとうね。これを作曲家に送ってみるよ。」
「うん、先生また困ったら言ってね。いつでも助けてあげるから。」
 そう言いながら彼女は満面の笑みを見せて可愛らしいバイバイで帰って行った。
 その日の生徒たちが下校した後で彼女の担任の先生がぼくのところへ来た。
「先生、なんかうちの生徒が先生の原稿を直したんですって? ご迷惑をかけてすみません。『校長先生って詩を書くのが下手だから私が直してあげたの』って言うんですよ。」
「そのとおりなんだよ。こっちこそお世話になったんだよ。」
 と、その担任の女性の先生に詳しい経緯を説明してそう言った。これはまことに偶然のことだったが、その女性の教師も中学生の頃に別の学校でぼくが国語を教えた教え子だったのである。

 卒業証書授与式(卒業式)の日だった。彼女は泣きながら講堂の演題へ中央の段を上がってきた。
級長さんだったからクラスの代表になって、ぼくからクラスのみんなの卒業証書を貰っていった。涙に濡れた瞳と頬にひたむき何かを求めている中学生らしい生気が溢れていた。あの歌のハクサン・フウロのような愛らしさがあった。ぼくはそのハクサン・フウロの少女に向かって「卒業証書」を読んだ。数百人の大勢の人たちに背を向けていたから誰も知らないだろうが、彼女はぼくにニコッと一瞬の最高の微笑みをくれた。
 その日の帰りに二人の友と階段を降りてきて校長室の扉を叩いた。ぼくが廊下へ出ると彼女は花のように咲いた。それから、アルバムと卒業証書の筒を友に預けてぼくの懐に入ってきた。黙ったままの十五歳と六十歳の孫と爺さんの抱擁は、ひとしきりあの青春の峠の風に吹かれていた。

 あの詩はメロディを貰ってぼくたちの明日へ舞うように流れるだろうか。青春の五線譜に記憶されていつか誰かに歌われるのだろうか。
 ハクサン・フウロの花を見るとこの不思議な話を思い出す。

     Ⅳ 

 もうすぐ古希を迎えるような年齢になってのある日、ぼくは妻と二人の気ままな旅に出た。
 ぼくたちは奥日光のさらに奥の金精峠を越えて夕暮れの菅沼に入った。そこはもう群馬県の片品村であった。遠く心に深く刻み込まれた思い出の菅沼キャンプ場へ入って、その奥の菅沼のほとりへ行った。初秋の静かな山の湖にぼくの全てが吸い込まれる思いになった。何も聞こえない。何も響かない。何も歌わない。あまりの静けさに幾重かの山影が湖水に映って震えている。寂しい夜を待っているかのようだった。
 じっと湖畔に立ち尽くすと、あのざわめきがぼくの奥の方から聞こえてくる。自らの後ろ姿を振り返ることをまだ知らない中学生たちのあのざわめきが・・・。男の子や女の子のひと時も黙っていないあの会話がすっと浮き上がるように聞こえてくるのだ。

 まだ若い先生だったぼくは林間学校と称しての中学生たちの山の生活に引率教師として参加した。あの頃のぼくは写真に夢中だったので、学校ではカメラマンとしてぼくを毎年のようにこの林間学校への参加を義務付けた。プロの写真家は修学旅行の方でお願いしていた。それから還暦を迎えて退職するまでなんと多くの歳月をこのキャンプ生活で過ごしたことだろう。近隣の中学校はどこも菅沼のキャンプ場を利用していたから、転任しても林間学校では必ずと行っていいほどここへきた。だから菅沼と奥日光白根山峡のハイキングはぼくの中にたくさんの思い出を重ねていたのだった。
 ぼくはこの菅沼で何度も密かな恋をした。何度も子どもたちと夢や憧れを語り合った。たくさんの子どもたちに山の愁いや孤独や悲しみを語り合った。毎年のようにぼくの恋人は入れ替わったが、それはいつも中学生の子どもたちだった。そしてぼくは幾多の青春の経験を教えた。それは青春という銘柄の名酒に酔うようにぼくをうっとりさせた。ああ~、あの奥白根や前白根、五色山。遥か下に見える五色沼へ降りてエメラルドグリーンの水面に映る白根山を見て、数人の子どもたちと黙ってしまった感動を思い出す。尾根道の風やお花畑や森の中の鹿やリスの気配やちらちらと揺れる木漏れ日や・・・。そして、子どもたちと歌いながら歩いた山道やお昼の美味しかった握り飯や・・・。
 一日を歩き続けてすっかり親しくなった恋人たちとの笑顔の交換や労いの言葉がどんなに嬉しいことだったかを思い出すと今でも涙が滲んでくる。

 薪割り、冷たすぎる水での炊飯。かまどの煙の煙たさやカレーの匂い。そして、まるで街中にいるようなおしゃべりの雑踏の中でちらちらと光り始める懐中電灯の光。すっと潮が引くように子どもたちが炊事場から消えて、あちこちのバンガローでの夕餉のひと時が始まっている。
 すっかり陽は落ちて夕餉の後始末が終わった静寂な森の広場に笛の音が細く響くと、子どもたちはぞろぞろと広場へ集まってくる。広場に大きな円陣が作られる。すると物陰から真っ白な衣装の女神が松明を持って現れる。薪の山の四方で待っていた五人の天使の松明に火を分火する。そしておごそかに開会を宣言して、円陣の中央の薪の山に点火される。満点の星のきらめきに向かってキャンプファイヤーの炎が燃え上がる。歌声と踊りと各クラスの出し物が続き楽しげな時が過ぎる。お祭りのようにひと時が過ぎてファークダンスが終わる。静かにフィナーレの笛に導かれて子どもたちはバンガローへ帰る。火守りの長のぼくは女神になった女の子を労う。彼女は可愛らしい笑顔でまるで友達のようにぼくに頷くのだった。

「久しぶりだね、元気だったかい?」菅沼のキャンプ村の看板がぼくに囁いているような気がした。
そうか、あれはもう遠い昔の物語だったのか。いつの間にか滅びてしまった栄華の都の跡へ来ている老人になってしまったのか。空だけがまだ白い菅沼の夕暮れには恐ろしいほどに静かさが覆っていた。辺りはもう宵闇に沈もうとしていた。そのとき、ふっとぼくの目の中にあの女神の女の子の可愛い笑顔が、尾根に咲いていたハクサン・フウロのように浮かんだ。
「そうだよ。ここにはいつまでもあの思い出たちが住んでいるんだ。この菅沼にはさぁ・・・。」
 ぼくは独り言のようにそうつぶやいていた。



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