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       オカリナの思い出   線香花火

 

オカリナの思い出

 

  一

   春の庭の片隅に
   もうたんぽぽは居なかった
   ひとりこっそり旅立ったのか
 
冬の光でいっぱいの午後の職員室で
うつむくきみの目から頬を伝うこともなく
一滴、二滴の銀の涙は
小さな音を立てて
足元の床で黒い星になりました
辺りに言い知れない悲しみがたち込め
それからというものは
ぼくの思いの中で
薄れては浮かび、薄れては浮かびするのです
あの銀の涙と小さな音と黒い星が・・・

教えられるままに
こころ優しく生きることに幼い心を賭けたことが
ひとつひとつのエピソードを集めて
なんとたくさんの幸せな記憶を紡ぎました
けれども深い孤独が浸食していたのです
風の気配のように
きみがそれを気付いたとき
何がこの裏切りを演出しているのかと
そう思い思いきみは
自分の落とした涙の音を聞いたのですね

明るくて、優しくて、楽しくて
みんなはきみを大好きでした
尊敬し、憧れ、甘えてさえいたのです
それでもみんなに温かかったきみは
神様になっていた
愛に揺れ、情けの小舟に乗って
わがままを振舞ったことがないままに
きみだって一匹の子羊に過ぎなかったのに・・・
そう言えば神様には対等の友はなく
かぎりない孤独の中で神様でいなければならない
そんなつもりじゃない
そんなつもりじゃない
どう生きたらいいか考えた
真剣に考えて努力した
誰かを愛し、みんなを愛したかった
そうしたらいつのまにか独りぼっちになっていた
なぜ?
なぜ?

きみは白い馬に乗って
この教室から
ひとりで旅だったのだろうか

  二

耳を澄ませ
耳を澄ませ
飛んでいったタンポポの種の噂が聞こえる
花信のささやき、祈りが聞こえる
カナダの山脈の麓の村の郵便局から・・・
幾日も続いたアメリカ大陸を
ヒッチハイクで
縦断するきみのジーンズ姿から・・・
華やかにファンファーレの鳴る
メキシコの闘牛場で
きみが押すカメラのシャッターの音から・・・

悔しさに満ちて
求めようとするものを求め
青春の日々を乗り越えるために
そんなにも自分を投げ出して
そうして写してきたという写真は
傷だらけになって
闘士の剣を槍を満身に突きたてられて
倒れている牛の姿だけなのだ
闘士も写さず
観客も写さず
幾枚も幾枚も
牛だけを見つめて写した写真に
牛を慰め
牛の最後の言葉を聞こうとするきみを
ぼくは思った
八十日の大旅行の写真がそれだけなのか
そんなにも
そんなにも
きみは優しいのか・・・

 

  三

白い馬にまたがって楡の木陰を下りてきた
ぼくは泉のほとりで昼寝をしていた
ー回り道しちゃった。話したいな
ーこれからのことかい?
きみは馬に乗ったまま
まだ旅の途中だと言った
ーそれもいいだろう
  だがここで昼寝もいいもんだよ
きみは静かに笑って首を振る
一瞬、馬は顔を上げて耳をそばだてる
澄んだ目を丘のはるか遠くへ向けて
胴ぶるいをする
今にも走り出そうとする
きみは馬の首をたたいてなだめ
ぼくを見る
ーここでは私が見えないんです
ー・・・・・

幼い日の銀の涙がよみがえり
時間が流れて
淡く寂しい気配が漂い
何がなしにぼくは辛くなる
ーこの馬は、先生が私にくれたんです
ーうん、ぼくの夢だった
ー行くのかい?
ー行くしかないから、・・・怖いけど
静かさが揺れ
風も匂う
若葉の音も聞こえてくる
風はまだ寒いのに
白い馬は走り出すのだった

耳を澄ませ
耳を澄ませ
あれはオカリナの音
丘にのぼりそのまま大空へ駈け上り
大空を行くきみの後ろ姿が
白い馬の背に弾む

 

 

 

 

 

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  四

春の宵
レストランで
彼女が旅立つ前のひとときを過ごした
ぼくは彼女にオカリナを贈った 

暮れていくサン・ディエゴの街を
オカリナの笛の音が渡っていく
アパートの窓辺に
ジーンズ姿で腰掛けている彼女の
まるい小さな手の中に包まれて
その手の中で温かくなった
オカリナの笛の音が
椰子の並木を渡っていく

楽しい日には楽しげに
悲しい日には悲しげに
もしかしたら留学の三年間のうちには幾日か
サン・ディエゴ大学の友人が集い
彼女のオカリナに合わせて歌をうたい
哲学や人生を語らうことがあるかもしれない
その時彼女は生涯の友と出会うかもしれない
彼女はきっと彼らに日本の歌を教え
彼らは日本の歌を合唱するかもしれない
オカリナの笛は
そうして、彼女を子羊にするかもしれない

何度もリクエストがあって
ぼくの作った「たんぽぽの歌」を吹くかもしれない
 ・・・花束なんかになれないが
      自由に行こうどこまでも・・・
そんな気がしてぼくは
旅立つ彼女にオカリナの笛を贈った
けれども、ぼくは思う
彼女にオカリナの笛を贈ったのは
ぼくがぼくのためにした行為ではないか
この思い付きが気に入って
彼女に甘えているのではないか
そして彼女は
「先生は私にオカリナをくれたかったんだ。」
そう思ってやさしい頬笑みを返してくれた
そんな気がする
どうしてもそんな気がする

銀の涙はオカリナでは償えないが
長い旅にオカリナの笛の音は
ちょっと悲しく、似合わないのだが
だからオカリナの笛しか
贈ることが許されないように思うのだ
彼女は受け取って
ほっと揺れてなよやかになって
「持っていきます。」
と言う

教師の罪の深さ、人としての罪の深さ
それは人であることの悲しさだと
彼女にはわかっていたように思う
彼女がオカリナを吹く日には
優しいときが流れるといい・・・

  五

もし 思い出行きの電車があって
あの町への切符があったなら
たとえどんなに遠くても
たとえその切符の値段が
どんなに高くても
そんな切符があったなら
あの子の町までの切符を買って
ぼくは会いに行きたいと思います

一枝の果実の
たわわな奴を肩にして
会いに行こうと思います

とっても明るい日だったっけ
露地から棒を振り回して
飛び出してきた女の子
五、六人の男の子を従えて
美しい娘になった
あの水飴屋の女の子に
会いに行こうと思います    

シベリア鉄道の九十にち間
バイカル湖から天の川へ登る
イルカに引かれた
水上の馬車のような
そんな電車に乗って
夢の高原をゆき
白樺の林を過ぎると
むせるような思い出の予感が漂います

遠い追憶の中で
友と青春の草むらに腹ばい
若さいっぱい笑顔の花を咲かせていた
あの女の子に
星を磨いて夜空を飾り
月を抱いて明日へ微笑んでいた
あの女の子に
心の底から会いたいと思うのです      

あのとき
澄んだ水面に書いた恋文を
春風がさざ波で消してしまったこととか
教室のパンジーの鉢を
ベランダの日溜まりに並べて
幸せには三色があると教えたこととか
銀色に光って落ちて
黒い星になったあの子の涙のいくつかを
拾っておいたから
それを返したいこととか       

会えば懐かしさが色変わりして
晩秋の縁側の日溜まりで
黒い影になって
黙しているだけになるだろうし
言いたいことが女々しくて
恥ずかしくて言えなくて
そんな情けなさが
いっそう寂しくなるだけでしょうから
そんなことは手紙でいい
さもなくば遠慮がちな電話でもいい
それで十分なのでしょうけれども
      
やっぱり
あの子に会いに行きたいと思います
心がぼろぼろになって
寂しくてふるさとに帰るように
抱きしめてもらいたくて 
母に会いに行くように
待ち続けている幼子の面影を
胸に描いて
家へ急いで帰る母のように

初めてデートに出かけたときの
あのとっておきのときめきで
心のずっと底の方から込み上げてくるのです
あの子の面影になんとしても会いたいのです
そんな 思い出ゆきの切符があったらいいなー