四
春の宵
レストランで
彼女が旅立つ前のひとときを過ごした
ぼくは彼女にオカリナを贈った
暮れていくサン・ディエゴの街を
オカリナの笛の音が渡っていく
アパートの窓辺に
ジーンズ姿で腰掛けている彼女の
まるい小さな手の中に包まれて
その手の中で温かくなった
オカリナの笛の音が
椰子の並木を渡っていく
楽しい日には楽しげに
悲しい日には悲しげに
もしかしたら留学の三年間のうちには幾日か
サン・ディエゴ大学の友人が集い
彼女のオカリナに合わせて歌をうたい
哲学や人生を語らうことがあるかもしれない
その時彼女は生涯の友と出会うかもしれない
彼女はきっと彼らに日本の歌を教え
彼らは日本の歌を合唱するかもしれない
オカリナの笛は
そうして、彼女を子羊にするかもしれない
何度もリクエストがあって
ぼくの作った「たんぽぽの歌」を吹くかもしれない
・・・花束なんかになれないが
自由に行こうどこまでも・・・
そんな気がしてぼくは
旅立つ彼女にオカリナの笛を贈った
けれども、ぼくは思う
彼女にオカリナの笛を贈ったのは
ぼくがぼくのためにした行為ではないか
この思い付きが気に入って
彼女に甘えているのではないか
そして彼女は
「先生は私にオカリナをくれたかったんだ。」
そう思ってやさしい頬笑みを返してくれた
そんな気がする
どうしてもそんな気がする
銀の涙はオカリナでは償えないが
長い旅にオカリナの笛の音は
ちょっと悲しく、似合わないのだが
だからオカリナの笛しか
贈ることが許されないように思うのだ
彼女は受け取って
ほっと揺れてなよやかになって
「持っていきます。」
と言う
教師の罪の深さ、人としての罪の深さ
それは人であることの悲しさだと
彼女にはわかっていたように思う
彼女がオカリナを吹く日には
優しいときが流れるといい・・・
五
もし 思い出行きの電車があって
あの町への切符があったなら
たとえどんなに遠くても
たとえその切符の値段が
どんなに高くても
そんな切符があったなら
あの子の町までの切符を買って
ぼくは会いに行きたいと思います
一枝の果実の
たわわな奴を肩にして
会いに行こうと思います
とっても明るい日だったっけ
露地から棒を振り回して
飛び出してきた女の子
五、六人の男の子を従えて
美しい娘になった
あの水飴屋の女の子に
会いに行こうと思います
シベリア鉄道の九十にち間
バイカル湖から天の川へ登る
イルカに引かれた
水上の馬車のような
そんな電車に乗って
夢の高原をゆき
白樺の林を過ぎると
むせるような思い出の予感が漂います
遠い追憶の中で
友と青春の草むらに腹ばい
若さいっぱい笑顔の花を咲かせていた
あの女の子に
星を磨いて夜空を飾り
月を抱いて明日へ微笑んでいた
あの女の子に
心の底から会いたいと思うのです
あのとき
澄んだ水面に書いた恋文を
春風がさざ波で消してしまったこととか
教室のパンジーの鉢を
ベランダの日溜まりに並べて
幸せには三色があると教えたこととか
銀色に光って落ちて
黒い星になったあの子の涙のいくつかを
拾っておいたから
それを返したいこととか
会えば懐かしさが色変わりして
晩秋の縁側の日溜まりで
黒い影になって
黙しているだけになるだろうし
言いたいことが女々しくて
恥ずかしくて言えなくて
そんな情けなさが
いっそう寂しくなるだけでしょうから
そんなことは手紙でいい
さもなくば遠慮がちな電話でもいい
それで十分なのでしょうけれども
やっぱり
あの子に会いに行きたいと思います
心がぼろぼろになって
寂しくてふるさとに帰るように
抱きしめてもらいたくて
母に会いに行くように
待ち続けている幼子の面影を
胸に描いて
家へ急いで帰る母のように
初めてデートに出かけたときの
あのとっておきのときめきで
心のずっと底の方から込み上げてくるのです
あの子の面影になんとしても会いたいのです
そんな 思い出ゆきの切符があったらいいなー